【昭和の落語家たち 5 古今亭志ん生】
アルコール・ランボーという名人。
高座で寝ちゃったのは何回かある。
倒れる前、倒れる後、どちらもあるが中でいちばんすごいというか面白いのは後の方、人形町・末廣でのことだ。
コロン、寝込んだ志ん生にトリの馬風(5代目)が寄りついて、声をかける。起きない。
ここで馬風が気が利いている。
寝込んだ志ん生の前に膝を進めると、口の前に一本指で、シーッ。
「(小さい声で)よーくきたなー」
と自分のネタをはじめた。すっかり終わると、また指を立てそーっと客を追い出した。
うーん、これねぇ、相手が鬼の馬風だからオカシミがある。鬼も殺そうってぇ馬風が、
「シーッ」てまるで女の子ような仕草、人間はだから面白い。
本名は美濃部孝蔵。江戸時代は直参旗本の家。
「俺ぇんとこは、三千石の石高だ」
「志ん生一代」の作者、結城昌治が調べに調べた。
五百石の石高で美濃部という家を見つけたが、そこから先はわからなかった。
明治になって、(没落して)父親が巡査になる。
いやぁ、貧乏だ。あきれるほど。小学校さえ押し出され、奉公に出るもどこも続かない。
そのうち天狗連という素人噺家、いまで言やぁクラブかな、に入っていよいよ落語家になる。
「おいらぁ、円喬の弟子だ」
円喬というのは橘屋円喬。圓朝以来の、名人の中の名人。NHKの大河「いだてん」の中で、何度も何度もこれを言い立てるがどうもこれは辻褄があわねぇ。小圓朝に弟子入りして、前座名が朝太。これなら筋が通るし、後付けもできる。
物置の屋根を直していたんだ棟梁が。そこで下から声がかかる。
「今夜、義太夫ーがありますよーッ」
て、聞いた途端に屋根から落っこちた。
湯、熱いね。
ぬるいよ、ぬるくてたまんねぇ。
(ザワザワって湯をかき回す)
バカヤロー、ゆするなよ。
ぬるくて、もう、たまんねぇじゃねぇか。
蓄音器の犬じゃあるまいし。
なに首を傾げていやがんでぇ。
古今亭志ん生、この噺家のどこがすごいかと言えばキテレツなとこだ。で、ね、言っとくけどね、キテレツな人ってのは、てぇげぇキテレツな顔をしているよ。キテレツをやりますよ、というもんだ。キテレツを演じているわけだね。
志ん生はちがうんだ。まーったく普通。普通の真っ最中にキテレツを出しちゃう。
だから、もう、聞いてるものはあきれるんだ。ストンと腰が抜ける、遠くに空が見える。
18回、改名した。あだ名は「ウワバミのハキ出サレ」。
ウワバミと言ってもわかんないよね、で、志ん生本人が説明します。
ヘビなんてのは、いつ誰が言ったもんだか。
ヘビってのは昔は名前なんてなかった。なにぃ、これぇ、頭からすぐシッポになるね。なにぃてぇもんじゃねぇ、屁みたいなもんだ。
へが行く、へが行く、ってぇ言ってるうちにビがついた。ヘビになった。
蛇が大きくなると、ウワバミになる。
これが大きくなるとウワバミがワニになる。手足が生える。
三年経って、ヘビがワニになるときの喜びときたら、なんとも言えない。
三つ違いのワニさんと…くだらねぇ。
ま、大きな蛇だ。大酒飲み。なんでもマル呑み。こいつが志ん生をマル呑みにした。
「ウヘェ、へェ、へーッ」
あまりのまずさに吐き出したという趣向だな。貧乏なんで着物(なり)が悪い、本人にしたって煮しめたような風体だ。どうにも噺家は悪口がうまい。
(「三つ違いの兄さんと」というのは義太夫「三勝半七」の名文句中の名文句、いまや通じないから情けない)
満洲から帰ってきてから上手くなった、ということになっているが、実は満洲に出る前から評判は上がっていた。ゆえあって浅草・金車亭の一席しかあげてもらえなかったのだが、少しゆるんであちこちに出るようになった。それが功を奏した(のか)。
ようやく一家も食えるようになってきたところで、戦争が激しくなり食料も物資も不足する。
で、ここで、本人、あられもないことを言い出す。
「満洲なら、好きなだけ酒が飲める」
ってことで日本海を渡り大陸へ。
(これが、圓生との満洲二人旅です)
帰ってくると、キテレツがもうひとつ化けてきた。アナーキーだね。あらゆる表現者の目指すものは、このアナーキー。自由自在、天衣無縫。やりたい放題、言いたい放題。になればいいな、と思うのです。
東西を通じて、アナーキーをまっとうできた表現者は一人しかいない。アルチュール・ランボーです。これねぇ、なかなか信じてもらえないが、志ん生はランボーだった。映画の「ランボー」じゃあないよ。仏文学の方。
ひとつ落としてアルコール・ランボーでもいいか。
関東大震災の時、グラグラっとくると、
「酒が地面にこぼれるといけねぇ」
と思って家から飛び出した。行先はなんと酒屋、駆け込んで、
「おい、おい、酒、酒くれぇ」
酒屋の主人はそれどころではないと勘定をとらない。
「どーぞ、好きなだけ飲んでください」
すると、その場に(うずくまって)タダで1升5合ほども飲んでヘベレケで帰宅した。
カミさんのりんさんは当時長女がお腹にいた、なのにと、大地震の最中に家から飛び出した亭主にさすがにたまりかねて大変な剣幕で怒鳴りつけた。
寄り道でした。はい。
床屋でねぇ、おっと親方、剃刀あぶねぇじゃねぇか。
犬がねぇ、こっちを見ているよ、どうしたんだい。
この前、耳、落としたら食っちゃた。
どうも、待ってるらしいよ。
三語楼の弟子で甚五郎を名乗っていた頃、師匠の羽織を曲げちゃった。曲げて飲んじゃった。(曲げるというのは落語家の符丁で質に入れること)
これが師匠にバレて、って高座で羽織る羽織だ、バレねぇわけがねぇ。
「甚五郎いい加減にしろい、もう我慢がならねぇ、お前は破門だ」
となる。仕方ねぇと荒物の引き売りをはじめる。笹塚にいた頃かなあ。
誰にも会いたくねぇと思って引いていたところを、金語楼が通りすがりで見つけ
「おーい、孝ちゃんじゃないか」
と声をかける。
「孝ちゃん、今日、俺は神楽坂でトリだ。出番を作るから来ておくれ」
実は兄(あに)さん、こうこうこういうわけでと打ち明けると、
「孝ちゃん、任してくれ。俺が、三語楼師匠に話をつける。だから、今夜、必ず来ておくれよ」
三語楼師匠が切り出した、
「お前さんねぇ、今度何かあったら、お前さんのところに火が及ぶよ。いいかい、わかってるのかい」
「はい、わかっております」
金語楼のおかげで、助かった。
つまりねぇ、アナーキーな人ってのは大概(てぇげぇ)人生の途中でつままれちゃう。破門の件はその通り。兄弟子の金語楼の男気で救われたが、こういうことが重なって、なんとか志ん生は花が咲いた。
わかんねぇもんなんだ。そのわかんねぇもんを許容できるかと言えば、現代は小さくなっている気がする。
大旦那が義太夫を語りはじめると、義太夫が渦を巻いて番頭さんに襲いかかる。
番頭さん、あわてて蔵に逃げ込んだ。
大旦那は蔵に梯子をかけて、窓から、一気に義太夫を流し込む。
ドドドッー、ドドドッー………ウーン、ウーン、
中じゃ義太夫がとぐろを巻いて、うなっている。
番頭さん、七転八倒の苦しみだ。
終いに番頭さん、ドイツにまで逃げ出した。
この「ドイツにまで逃げ出した」という「寝床」のサゲのスゴサにいまだ勝つものがないという。昭和の名人芸、いまも残る志ん生の「寝床」のサワリでございました。
どこからドイツが出てくんだ、ただただ仰ぎ見るばかりです。
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