「米津玄師は、なぜサビた声で歌ったのか」
ー紅白歌合戦レポートー
紅白歌合戦の話しです。米津玄師は「サビた声」で歌っていた。それは、強くエフェトされた声で。ザラザラとサビついた声、やすりのような声だった。
「どうして、サビているんだい。カラダがサビたのかい」
「誰のこころをやすりにかけたいんだい」
と思っていると、
チコちゃんが、画面の真ん中にトコトコ歩いて来ました。両手を広げると、
「みんな、さあ、米津玄師は、なぜサビた声で歌っているの。わっかるかなあ」
チコちゃんの質問だから
「かっこいいからー」
というようなウワベを追うだけの答えじゃ、とうてい答えにならないよね。ディープな、ディープな(時には潜在意識にまで迫っていくような)答えが必要なんだろう。
はい、取材、歌い終わったばかりの若い子、
「ざらっとしていて時間が長く感じますね」
年齢を変えて、ヒロミ・ゴーはニコニコしながら
「僕らの時代に近づいているような気がしました。聴きやすいですね」
「ほらほら、だからどうゆう答え、なんーのぉよー」
とチコちゃんが質問の追い討ち、そしたらそばにいた男の子が思わず言いました。
「大人になりたかったんだー」
フツ、フツ、フツ、ボッコーーン。
「ボヤーッと生きてんじゃねぇよー」
「じゃあ行くよ。驚いちゃあいけないよ。驚くだろうけどねぇ」
「米津玄師は……なぜサビた声で歌うのかー」
「それはねぇー、ジャニーズが嫌いだからー」
ほんとなのー。
えー、ほんとです。
でも、それ、説明するには少し時間が必要です。講座の方にいきましょう。
○
米津玄師は、自分の言葉を持たない歌手たちに我慢ができなかったんです。ご機嫌とりのような歌詞や発声、もうもう、もううんざりしていた。これが、はじまり。
日本語というのは、地声の発声で届く言葉です。肉体感のある言葉として成立するのはこの発声。時に喉に大変な負担がかかりますが、喉を鍛えることで、(江戸期をも含む)歌い手たちは乗り越えて来たのですね。
ところが西洋音楽が入って来ます。すると、この地声発声を
「コジキ節ばかりだ」
と小バカにするんですね。ほんとかな。この論法を世間は承知しませんでした。そうして、歌謡曲の時代がやってくるのです。どちらの長所も大事にしながら、日本の音楽は進むんですね。
そして、いまの時代なんですが、こころから自分の歌を届けようとしているアーティストのなんと少ないことか。(いることはいる、それは認めるし、動いている気はする)。けれどさあ、
ゆるい発声で、ゆるい人生を届けようとする奴らがゾロゾロ。
その場のご機嫌を取り結べばよしとする「ホスト歌手」の多いこと。繰り返すよ、「ホスト歌手」とはホストみたいな歌手のことだよ。歌の意味に力もなければ、言葉の強さもない発声。その場限りのキラキラ振り。
「ホスト歌手」とは、もうわかるよね、ジャニーズのことですよ。(もちろんジャニーズ事務所はもうないわけだから、ジャニーズ系ということなんですね)
「ホストみたいな人生で、お前(めぇ)たち楽しいのか」
といったところで嬉々としてやっているわけだから、所詮その程度のオツムということになる。昔からそうだった。
ジャニー喜多川が作りたかったのは、そういうウスイ文化なのよ。「ホスト歌手」という分析にもぴったり符号するでしょう。
うーん、(少しだけほめよう)いままでのジャニーズ系の歌の中で唯一、真っ当なものといえば「宙船(そらぶね)」だけなんだと思う。みゆきさまの言葉の力が起こした奇跡だね。あとはみんなスベスベで、およそ歌とは思えない。
その証拠のひとつ、「宙船(そらぶね)」を他のチーム、例えばスノーマンに歌わせてみたらいい。とたんにスベスベして耐えられないと思うよ。言葉なんて考えたことのない人種には、無理な歌なんだよ。
SMAPの歌なんて、どれを聞いても空々しくて虚(むな)しいね。
中居の人生の虚(うつ)ろさとほぼ一緒。お金はあるんだろうけど、さあ、なにが残っているの。聞き手を「金ズル」としか考えてこなかったアーティストの成れの果て。
これが、「ホスト歌手」の行く着く先で、ジャニーズの皆様の人生さ。
○
矢沢永吉が地声で歌い出していた。
「シャンパン(けん玉の聞き違いかな)、入りまーす」
というホストたちの浮ついた声で白け切っていた、紅白の舞台はいくらかシャンとした。
地声の歌は、ほどよく響いて客席をゆらし、なんとか歌番組が成立しそうになって来た。いいぞー。矢沢は、
「歌とはこういうものさ」
とばかりにきちんとステージに足をつけ、言葉を歌った。そしてこの後に続く歌に地平を作り出した。
「この向こうに来年がある」
というシーンが生まれたのだ。NHKは、感謝するしかないのだろう。
○
米津玄師「IRIS OUT」は、矢沢の歌の延長で出て来た。
「おい、歌ってのは地声だよ」
そう言いながら出て来た。なんとも素晴らしいタイミングだね。
素晴らしいアイロニーと人間らしい音圧の歌。米津玄師の「IRIS OUT」は、矢沢の前あたりまで流れていたスベスベした薄っぺらい歌へのアンチなことは、すぐに理解できた。
「ジャニーズなんて、IRIS OUTなんだよ」
と歌いながらこき下ろしている。
さあ、ここでみんな少しは気づいてくれないか。歌とは、どうあるべきか。日本語の歌は、どうあるべきか。
いけねぇなあ、つい理屈を言っちゃう。
と、まあ、分析するんだけど、チコちゃん、どう。
「はい、正解です」
「NHKが感謝しないといけないのも、ほんとだと思う」
(すべて想像の中ですが)チコちゃん、ありがとう。
○
ぼくは、昨年、日本語と歌の関係について「おいらのコジキ節」という連載記事を書いています。
その中で「�◆\蕕良�にならないよ」という編があり、この原稿で端折っているところをだいぶ補っています。「千の風になって」を秋川雅史と高倉健、二人の聴き比べをすることで日本語と歌の関係を探るという、面白い企画です。ぼくの話しが走りすぎと思われた方は、ぜひ、ご一読ください。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989222212&owner_id=5708627
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