「桐谷さーん、どちらへ、お出かけですかー」��
人生はノーリターン。
マリリン・モンロー、ノーリターン
ノーリターン
ノーリターン
大事なものはノーリターンなのさ。若いの、言っとくよ。忘れるなよ。
桐谷さんは、棋士を目指して広島から出てきた。元はと言えば
「広人くん、将棋の相手をしてよ」
と近所の接骨医のオジサンに声をかけられたのがはじまりだった。
あっという間に接骨医のオジサンを飛び超えて広島の天才少年が誕生し、故郷の英雄、升田名人までがわざわざやってきて
「この子をワシのところに寄こせ」
のお言葉で東京に出た。
父親と母親と別れての東京暮らしがはじまった。18歳の時だった。
戻るとこない人生で
あの町この町 日が暮れる
ノーリターン
ノーリターン
来ると途端にびっくりさせられた。
20歳で初段、26歳でプロの資格である4段にならないと、棋士の卵は年齢制限でクビになる。桐谷さんには、ゾロゾロいる小中学生棋士たちと比べれば、そうたくさんの時間はない。
(早く言ってよー)と思ったけどまだなんとかなる。
それなら、
「自分に厳しくしよう」
住み込んでいた将棋会館を出てひとり暮らしをはじめると、ヒタヒタヒタと貧乏がやってきた。
「広人くん、一緒に生きて行こう」
貧乏は、広人くんにピッタリ付き添って離れない。
食事といえばインスタント・ラーメンのことで他のものなんて考えられなかった。1パック(5袋)85円を買うと1食17円。それがなにもおかしいこととも思わなかった。
父親の教えのおかげ、とその時は少しも思わなかったけれど、いま思えば「父親の教えのおかげ」以外の何者でもない。
桐谷さん、思い出しはじめていた。
「人はなあ、貧乏であるほど幸せなんだ」
とお膳を前にして、わたしに聞かせるんですよ。
山で、山ほど取ってきたワラビをやっぱり山ほどのワラビご飯にして、その前で言うんだ。ほろ苦いご飯だったなあ。
父親は、まるで欲得のない人だった。ひと儲けしようとか、得をしたいとか、一度も聞いたことはなかった。毎日がフツーで、淡々と生きていた。だから、
「株ってのは、博打だろう。あんなものに一切、お金を出すことはできない」
と、わたしに言い続けた。
ノーリターン
ノーリターン
「父さん、ぼくに預ければすぐに倍にも3倍にもなるよ」
とからかうと、
「お前は一体どんな人間になったんだ。いいからもう広島に帰ってくるな」
とまで言われた。
それでもひと月にいっぺん、わたしは広島に帰っていました。だんだん歳をとる両親を、見るためにです。
そうこうすると、あの日です。
この世はみんなお終いだ。
桜ちるちる 菊もちる
マリリン・モンロー、ノーリターン
ノーリターン
ノーリターン
「リーマンショック」がはじまると
A社もB社も ストップ安
ノーリターン
ノーリターン
わたしは「リーマンショック」でスッカラカンになって、借金だらけ垢だらけで広島に帰ってくると、
「父さん、ぼくは人生をまちがえました。父さんの言うことを聞かなかったからです」
とだけ言いました。そしたら、
「広人、人生なんて何度でもやり直せるよ。
お前が失敗したのは結婚しなかったことだけで、他はみんなやり直せる」
とわたしに言うのです。
「さあ、これを持っていけ」
財産が入った通帳から、年金が入る通帳まで全部、わたしにくれたのです。
顔を見ただけでわかるんでしょうねぇ。
わたしは困っている様子を父親に伝えたことなんて少しもないのです。でも、親はすべてわかっているのです。
「ハ、ハ、ハーッ…(わたしは通帳を握りしめ)」
おでこに跡がつくよう押し当て。
いそいで東京に戻り、残っている信用買いの残金を整理しました。これで、なんとか生きていく道が開けたのです。
実は新幹線代にもこと欠いていて、それで夜行バスで行ったり来たりしていたのです。飛ぶように夜行バスです。
信用買いの残金を整理して
「あー、自由になった。父さん、ありがとう」
久々に重石は取れたのだけど、それだけではとても生活が成り立たない。もう、この頃は棋士は引退していたので月給はないのです。
東京という砂漠で上を向いて倒れていたら、ポツンと一滴の雨粒が唇に落ちたんです。
ピンポーン。
「桐谷さーん、宅配でーす」
優待のお米が届いたのです。
エ、エ、エーッ…もう飛びつきました。
それまで優待なんて気にしたこともなかったのだけど、探しました。部屋中です。山となっている資料を上から下までしっくり返すと、出るわ出るわ、レトルト食品、飲み物、お菓子、調味料…あーこれで助かる。生きていける。
マリリン・モンローは袋詰めで帰ってきたのです。
中でもお豆腐です。篠崎屋というお豆腐屋さんの株があって。ここでお豆腐とこんにゃくを優待券で買って、それが主食で2年も過ごしました。体がオカラになったんじゃないか、ツネって見たくらい。痛かったから
「あー大丈夫だ」
と声を出した覚えがあります。
自分の父親がなんていい人だったんだと、ようやく気がつきました。お金をもらった時は
「あー、助かった」
と正直、思っただけでした。でも、いまになって見ると、損か得かなんて話しじゃなくて、そうじゃなくてもっと別の話。忘れられない話しです。
「マリリン・モンロー、ノーリターン」の本歌を引いてみます。(ノーリターンの意味がはっきりします)
ゼアリ’ズ ア・リバー
コールド ザ・リバー・オブ・ノーリターン。
マリリン・モンロー主演の映画『帰らざる河』の主題歌です。モンローが歌うこの切なすぎる歌によれば、川の水は一度行き過ぎるともう戻ってこない、そうですよ。
父さんに借りたお金は、計算すると3,000万円を越えていました。「リーマンショック」の10年後くらいになるのかなあ。やっと返しました。
「父さんのおかげで助かりました」
ほんとにそうなんです。信用取引のお金は父さんの助けがなけりゃあ、とても整理はできなかった。
父さんはニコニコしていました。お礼に200万ほど添えたんだけど、そんなの見てなかった気がします。
桐谷さんは、いま76歳でお父さんはもういなくて、やっぱりひとりで元気に生きています。
チリリーン。元気に生きています。
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