日本村、
広陵高校。
ーなぜイジメ文化は無くならないのかー
二回戦辞退で大騒ぎになってますね。広陵高校です。
子供の頃から大好きだった広岡達朗が
「高野連が良いと言ってるものを、SNSに押しつぶされるとは馬鹿げたことだ」
ガクッ、膝が落ちました。広島、呉・三津田高校出身(江田島の向かいです)の軍国少年はやはりこうなるか。残念至極です。
高野連の判断はあるでしょう。では世間の人も高野連の判断に拘束されるのですか。
「まさかッ」
そんなことはありえない。人は自由に判断するのです。高野連が絶対だという思考の構造にこそ問題があります。
そもそも高野連は世間に指令するのではなく、お願いをする立場です。もうここで明らかですよね。
チーン。
○
�,匹Δ靴独鏗下圓�辞めるの。
運動部系のこうしたトラブルのほとんどは、被害者が転校している。誰もおかしいとは思わないのかな。
「加害した生徒が詫びを入れ、和解をしている」
などと校長などがクチを挟むのだろうが、この手のものが守られた試しはない。
話は簡単なんです。
「もし転校するのなら、加害した君たちが転校すべきです」
と宣言しておけば良いのです。
それができない理由は。これも簡単です。運動部は、常に数の力を背景にしています。数の力を大事にするというのは一見「組織論」のように見えますが、実は違うのです。
それこそ「精神主義」の反映だからです。
見えもしない「精神主義」をカタチにしているのは数。集団を残そうというのは、ある一定の規則性にとんだ数の存在こそを正統とする「数の保守主義」の存在があるからです。
「どうして被害者が辞めるの」
これは、日本の文化の低層にある「村八分」とほぼ似たり寄ったりで、正義があろうとなかろうと少数の「異端」は追い出されるのです。
「もし転校などの事態が発生したら、転校すべきは加害した君たちだと考えています」
こんな小気味のいい校長は、出てこないかなあ。
「それじゃあ、教育の放棄だろう」
といういかにもっともらしい意見を言う人も出てくるでしょう。この言い方をされると教育者は弱い。正論で言い返しましょう。
「それも、教育の一部です」
カキーン。
○
��1番から9番まで、イチローだったら気持ち悪い。
運動部の持つ「金太郎飴思想」にも、この際だから「二代・文句いうの助」です。
日本の運動部は「道を極める」ことを理想としています。その姿を「道」と言います。野球については「野球道」。いろんな道が、日本には生まれています。マンガ道なんてのもありましたね。
道の思想とは、「坩堝と螺旋」でも書いたように一種の純化運動であり結晶化運動です。それ自体は悪いことではなくて、立派に良いことです。それが集団思想に変化していくときに、日本的な無理が出てきます。
それが「金太郎飴思想」です。同じことをやらせる指導。剣道でも、柔道でも、ピアノでも、ありとあらゆる稽古にこの思想はつきもの。この完コピ方式をとがめると、
「生徒の個性に合わせ指導しているので、中を知らない人が言うことでしょう」
としれっと言う人がほとんど。
少しづつは改善されてはいるでしょう。大谷くんが書いて有名になった花巻東の「未来設計図」のような指導もあります。
だが基本が変わっていない。帽子を脱いで挨拶をする時、ギブスををはめたような動作を感じるのは変でしょうか。名門と言われる学校ほど、そっくりロボット・スタイル。広陵高校は名門中の名門ですから、言わずもがなですね。
同じことをやらせる、その集団の姿に「精神主義」が形成されていく過程が見える。これを、
「いいなあ、きちんとしていて」
と本気で思っている人がたくさんいる。これも本当なのでしょう。
ぼくは一緒の動きを見ていると、(イチローさん、引き合いにしてごめんなさい)
「1番から9番まで、イチローと同じユニフォームを着て、イチロー・スイングをしながら並んだらどれだけ気味悪いだろう」
と、ここんとこは言うようにしています。つまり、映像で感じる「反ファッシズム論」です。
ゾロゾロ、ゾロゾロ。
○
��エバル人は入れないもん。
高校スポーツの世界で、顧問と言えば(言葉の意味からも)アドバイザーが本来の役目のはずなんだが、次第に監督という呼称が増えてくるにつれ、上からの強制力が増してきたような気がする。
上下の関係が持ち込まれることで、度合いがどうあれスポット・ファッシズムが発生する。
わかりやすく言えば、陸軍の内務班。イジメが下へ下へと進行していく仕組みです。それも、わからない人が増えているのでドラマから。
「イジメが日本人を育て、日本社会を発展させてきた」
この考えを創作の要としてきたのは、劇作家のつかこうへい。
「日本ってのはねぇ、どこもかしこも蒲田行進曲なのさ」
という具合です。
「日本中のヤスが日本を支えてきたのさ」
つかこうへいは言う。ヤスは言い返す。
「銀ちゃんよう、俺がエラクなっちゃいけないのか」
「大部屋がよう、嫁をモラっちゃいけないの」
この大部屋にあたるものが名門野球部の4軍、5軍です。1軍から下降するように降りてくるイジメ。つかの言うように「日本社会の強さ」は、社会の大部屋が作り出してきた強さで間違い無いでしょう。
自分は永遠に立つことのないバッターボックスを前にして、果てしないイジメに出会うのです。
「集合ーッ」
あー、来たよ。
バタ、バタ、バタ。
○
このイジメの文化構造が、もはや通用しなくなっていることになぜ気がつかないのだろう。
「鍛えなくていいのか。後になってみればみんな感謝しているよ」
あー、気が遠くなりそうだ。
いまここで「生きる道」の話をしても仕方ない。手遅れ。答えはね、少子化なんだよ。イジメて鍛える社会なんてとっくに成立しないのさ。イジメで人を潰す教育をしていたら、日本社会なんてなくなっちゃうよ。こんなわかりやすいこと、ないじゃないか。
この次も答えから言うよ。そうした流れの中で、変わらない人たちがいたら、
「イジメ利権の中に身を置いていて、そこから抜け出せない人たち」
となって行くのだろうね。ジャスト・ミート。それが、これからのイジメの正体です。
さあ、練習しておこうよ。イジメ利権の人たちを見たら、言うのです。
リケン、リケン、バカーン。
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