ぼくらの子供時代、あちこちで出没した
「図々しいにもほどがある」
という言葉、当時はほぼ日常語でしたがどういうわけか、ついぞ聞かなくなりました。
なぜ消えたのか。消えた言葉と言って良いのかな。いつ頃からなのかを思い巡らすと、そうですね90年以降でしょうか。つまり、その頃、自己主張が急激に陽の目を浴び、「図々しい」はセーフ・ゾーンに大きく場所がえをしはじめた時期ですね。
さーて「図々しいにもほどがある」が聞こえなくなって、代わりの言葉が誕生した。
2024年です。そーれは、ご存知
『不適切にもほどがある』
の登場です。
「ほんと、ほんとなの」
「えー、ほんと、間違いありません」
ぼくの主張ですが「図々しい」の後継者は「不適切」です。
自己主張の時代には(大義さえ立てれば)、「図々しい」はむしろ褒め言葉。変わって、禁忌になったのは「不適切」です。一種、差別に当たる言葉、行動が「不適切」にあたるものですよね。境界を指し示す言葉が、移動したのです。
山尾志桜里さんですが、ただただ「不適切」な言葉だけは使わずに、たくさんの言葉で話します。つまり「不適切」を避ける言語技術がありさえすれば「なんでもあり」が現代なのだと気がつきました。
とすれば山尾さんは時代の申し子。途端に
「図々しいにもほどがある」
という言葉が口をつきました。(話し方の影響もあるのかな)
ここまで「不適切」を上手に使い分ける人が増えすぎたら、世の中、強い自己主張のし放題。いよいよ「うるさーい」のです。ここで行き過ぎを防ぐには、
「図々しいにもほどがある」
を復活させるのが極めて効果的ではないか、と思いました。
そこで、ドラマ『不適切にもほどがある』の逆仕立て。行き過ぎた「図々しいやつ」を次々と過去に行く(タイムトラベル)バスに乗せ、「図々しいが毛嫌いされる」ぼくらの時代に連れていくのです。
起こることは、ワイワイ、ガヤガヤ。
(一方的に自己主張している自分、あきれて遠巻きにする過去の人たちとのカラミ映像を見せられます)
「どうだ見てみろ、自分の姿を」
「図々しいにもほどがあるだろう」
「ほーらどうにも臆面もない姿だろう」
「図々しいにもほどがあるだろう」
どうでしょう、効果的でしょう。(すぐに反省するかはともかく)大概の人はミットモなさをすぐに自覚するでしょう。(顔を隠し)シュンとするかもしれません。
とは言え、シラを切るというか
「わたしのどこが悪いのですか」
とさらに頑張るのも出てくる。なにしろ「特大のズー」なんだから。
えーと、
「そこまで行ったらしょうがない、笑ってアバヨ…」
と小バカにするなどの方法はいかがでしょう。
「論理とマナーを一緒にしないで」
などいろいろ理屈はあるでしょう。と思います。
だが理屈より、効果的な一撃の方が実に効果は上がるもの。ここが、人間の不思議なところ。もはや半分以上ノンバーバルな言語として、感覚語として、言霊(ことだま)のように成り上がり、しっかり届くのですね。
脳幹をつく言語。理想的に言えばです。
こんなこと、ですよね。
「図々しいにもほどがある」という言葉を再生させることで、世の中を蹂躙している過剰な自己主張をちょうどいいくらいに抑えることができないかというのが主題でして。
そのトバグチだけですが、ご理解ください。
(議員などの)あきれる図々しい発言に
「図々しいにもほどがある」
という一斉コール。うーん、響きもいいし、良さそうだ。
ホントに効果があると思っています。ですから、はい、2、3回練習して、
まず、
山尾さんにぶっつけてみましようか。
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