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2025年06月04日05:56

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長嶋茂雄と「家」文化。

 長嶋さんが亡くなりました。さすがにそこまでの扱いはしないだろうが、国民のメンタルへの力で言えば、戦後最大の事件なのかも知れません。

 2年前、ぼくは「長嶋茂雄と反ジャニーズ論」という文章を書いています。長嶋茂雄とジャニーズが、昭和という地層の下でつながっているのか。そうではないのか。ジャニーズ騒動が起きた時、ぼくのアンチヒーロー主義がはっきりさせておかなければいけないものの仮象として長嶋さんに登場してもらいました。

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 アンチヒーロー主義とは、ぼくの共同幻想論であり、幸福論です。人は、自分で幸福の原形をカタチづくれない時、ヒーローを必要とします。わかりやすい指標としてね。
 その意味で、不幸な時代の産物とも言えるわけです。

 長嶋が戦後日本の躍進のオマージュとして、バットを振り、ヘルメットを飛ばしていた時、多くの人は油まみれのスパナやカナズチを振り、汚れたYGマークの帽子をかぶることで、現在の延長が多くの幸福の道につながっていると思っていたのです。
 さあ、それを悪いこととは思わないのですが、神ではないという意識だけは忘れず持っていただきたいのです。
 長嶋さんに幸福にしていただいたという人の言葉と、多くの人が油まみれのユニフォーム(制服)に袖を通し働くことで、長嶋は幸福にも野球を続けることができた。このふたつは同じ裏表です。あなたも長嶋茂雄さんに充分、感謝されて良い存在なのです。
(ここまでが2年前の文章です) 

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 スキップを踏みながらホームに帰ってくる長嶋茂雄。時と場所を自在に扱う空飛ぶ日本人、長嶋茂雄。人は、長嶋茂雄の無類の天真爛漫さを愛した。
 いつも飛び出してくるイレギュラーバウンドのような予測不能の「長嶋トーク」。
 ジリジリ焼けるフライパンのような、鉄火のバッターボックスに入りほんの2〜3度のスイングするだけで焦点を確かめ打ち返す「燃える男」。

 人は長嶋茂雄は異能人だと思っていた。
 オイラのエスパー長島が、千葉の佐倉生まれで両親も兄弟も佐倉にいるということはほとんどの人の整合性にはさほど問題がなくて、「オイラが信じていれば、それでいいのだ」。

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 長嶋茂雄は高度成長の直前にジャイアンツに入団する。南海ホークスに入団することがほぼ決まっていたのだが
「茂雄、お前、ジャイアンツに行け。他はいかんぞ」
という父親のひと声で一転ジャイアンツに入り、時代はローリングする。長嶋にとって父親の言葉は絶対だった。

 時代は、高度成長が動き出す直前でうずいていた。ないものと言えば、「信念」みたいなものだった気がする。
「信念」、八紘一宇とか国体とかいうものに覆われていたのだが、そうしたいかさまなカバーが屋根から吹き飛んでみると日本人は、ただ「餓えをいやす」ために働く一団に成り果てていた。つまり、日本人は無目的に生きていた。
 本当なんだ。
 映画「仁義なき戦い」を見れば、それは一目瞭然で(ナレーションにそって言い直せば)「人々は、ただ暴力と欲望の中を生きていた」のだ。

 故郷を失った人たちは都会を目指した。都会には、失くした「信念」に変わるなにかがあると思っていた。なにかとはなにか、こう、光みたいなものがね。それが、新しい天照大神なのかも知れない。そうであって欲しい、と潜在的に思って東京行きの列車に乗った。ほぼすべてのレールは、長嶋のいる東京を目指した。
 長嶋の初戦が「国鉄スワローズ」だったというのは、どうにも暗示的で面白い。

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 長嶋茂雄はバットを振った。日本テレビが毎日、放送することで毎日、長嶋は空を飛んだ。毎日、約束を違えぬ長嶋のバット。無心に振る、その度ごとに彼の背中には「信念」を失った無数の日本人のこころがドドッとのっかってきた。
 ここに約束がある。人は、そう信じた。
「長嶋さん、ぼくの信念になってください」
「長嶋さんは、バット持ったぼくの父親です」

 行き場を失っていた「こころ」は長嶋茂雄のバットに集約されていく。長嶋茂雄はバットを持った「家」になっていく。戦争で「家」を失った(失いかけた)日本人は長嶋茂雄という虚構の「家」を持つことで、どうやら安心して働く根拠を持つことができた。
 男が懸命にバットを振れば「家」には平和が来る。
 女が男の成功を祈れば、「家」には幸福が来る。

 そう人々が思い出した頃、長嶋茂雄は一振りで戦後の社会学を洗いざらいを整理してしまう。
 巨人・阪神戦、延長戦に入り帰りそうになった天皇陛下、立ち上がった、その時、長嶋茂雄は打席に入り、バットを思い切り振り込むと打球はレフトスタンドを目指した。
 カーン、(乾いた音が秒遅れで聴こえた)。
 打球は、陛下が後ろを向く前にスタンドに飛び込んだ。陛下はグラウンドに半身を向け片手で帽子をふった。

 長嶋茂雄は、この一打で言わば日本の親である陛下に孝行を尽くした。
「あれで親孝行ができました」
と後々、父親の
「天子さまのために尽くすんじゃ」
という言葉を引き合いに出すのだけど、誰が見てもあの一撃は赤子、茂雄の振る舞いにしか見えないだろう。この時、長嶋茂雄は戦後の「家文化」を完成させた。

 それは、やはり天皇陛下を頂点とした「家文化」で、そこまで「これでいいのかな」といささかふらついていた多くの日本人の腰を一押しした。おかげで高度成長は勢いを得て、一直線で走りはじめた。

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 長嶋茂雄をフリーランスの陽気なジョーカーのようにいう人がいる。えっ、ホントかいな。長嶋茂雄は、フリーだったのは監督を解任された一時期だけ、それ以外は読売ジャイアンツという会社に属していた。(認めたくないだろうが)会社人間です。

 会社というものが戦後社会の家にあたるものだと長嶋茂雄は、見事に教えてくれている。「会社とは家文化なのだ」。そう、長嶋茂雄が会社をなめらかに「家の文化」に組み込むことで、会社への忠誠心は迷うことなく形成されていった。会社と家の交雑。そいつは寸分、違わずで、異を唱えるともはや真っ当な道はないと言って良いほどだった。
 長嶋はバットを腰に刺した侍で、いささか愛嬌者であるものの一途な「家の子」だった。

 ところがだ、豊かになり会社人間が不正を大っぴらにはじめると「会社とは家文化」は成立しなくなる。整合性を失い、軋みはじめる。はじまりはロッキードだがその後もキリがない。キリがないよー、

 東京の夜明けに〜歌う 子守〜唄〜  (六本木ララバイ)

 20世紀が終わる前あたりから長嶋茂雄が作り出した「家の文化」が崩壊をはじめる。
 長嶋茂雄の家庭が(見たわけではないが)壊れはじめた、と言われはじめたのと足並みが揃っている。それは戦後の小さな単位の家では、家の継続が困難で世代の変わり目ごとに壊れる、という宿命なのかも知れないし。
 成功した家としてみても、家督というテーマが新しく浮上している。

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 戦後の「家」を作り出した長嶋茂雄は病院で亡くなり、ニュースによれば長男の一茂は喪主ではないようだ。つまり、長嶋のバットが作った実際の「家」はとおに消えているのだろう。
 もしかすると、もしかするとだが、大谷翔平が新しい家の像を作るのかも知れない。それならそれで、いい話だ。
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