石橋貴明のことです。
「あんなタコに言葉なぞいらない」
と思っていたのだけどスキを見て擁護する部族がいる。こういうのが、実に、じわじわとあのバカ贔屓になるかもしれないと思うとゾッとするね。で、少しタコ焼きをしよう。
「芸人が裸になってどこが悪いの」
はい、言ってることよくわかります。
「芸人は破茶滅茶で芸人、世の中、つまらなくするのかい」
はい、これも言ってることよくわかります。
でもねぇ、明日からあちこちで言っちゃあいけないよ。
「どうして」
「丸出しだからです、あそこじゃなくてバカが丸出しです」
石橋タコ明のあそこ丸出しを追いかけて、なにもあなたまでバカを丸出しをすることないじゃないの。
ぼくは実に、
「芸人が裸になっちゃいけない」なんて言いません。
「どうぞ、ぞうぞ、やって、バンバンやって」です。
それはねぇ、自分たちの「遊び場」でバンバンやりなさい。「遊び」より上、自分たちのメンタルの実験だと思っているならもっともっとどんどんやればいい。大賛成。飲み屋は実験場。打ち上げでもいいよ、いつもの飲み会でもいいよ、裸で走り回りなさい。
「あわ、あわ、アワ、わー」
「芸のインディアン、駆け抜けるー」
この辺なら、誰にも迷惑はかからない。
「あれ、なんだ、この水」
竿先から、少しシブキをとばしても許します。
修羅も、阿修羅も、出てこいやー。高田延彦です、はい、余分です。
問題は、だ。「遊び場」とか「実験場」と、普通の「場」との境界が曖昧なことだ。そして、この境界を出入りする人物もシロクロ曖昧なんだ。
間違う、勘違いすることはたくさんあるだろう。「シロ」とか「クロ」とかゼッケンつけて飲んでるわけじゃないからわからないし。(あー、わからないないふりしてパンツ脱がしちゃう)なんぞはよくあることです。
それしても、ここまであたりが境界のこと。ここから悪い奴が出没する。
「シロ」を「クロ」の世界に招き入れ「ご利用しちゃおう」と策略する人間ですね。そういうこすい奴がいるとややこしくなる。もしかすると、石橋タコ明もこすいのかもしれないし。ここは言わせてもらうよ。
芸人は「ご利用されて」なんぼだ、それを「ご利用しちゃおう」なんて、あーありえない。なんて姑息な芸人だろう。こころが貧乏だ。
さてさて事件だ。
足でね、(後ろ足でとぼけて)ゴシゴシこすってラインを消す。きたねぇだろー。
「シロ」と「クロ」の境目を消して女性を呼び込むんだ。多勢に無勢のいきおいなどもうまく使ったりしただろうね。
「行きましょうー」と掛け声もでるぞ。
これはねぇ、相手が動物ならワナ、人間社会で言えばサギだ。
石橋タコ明は、詐欺の大夫(主演)で、Aプロデユーサーはワキ(助演)になる。そうなんだよ石橋タコ明、悪いけど。
「場所を変えようか」
これが、逃れなき作為の証明。自然に生まれた流れでないことは明白。犯罪的意図の証明です。残念だねぇ、アウトです。しかも、この一言で大夫だよ、主役だよ。
猥褻物陳列材(略称ワイチン)はまちがいないし、もし肩に少し手をやったりしていればそれだけで未遂罪も成立しかねない、これが現状。
ほら、まるっきり助からないでしょう。
パンツを脱いだ先は、芸の延長ではなく、詐欺の地続きでした。
「実害は発生していないのですから…」
発生してたらどうだと言うの。石橋タコ明は実害を発生させないよう、もう一度パンツを穿くのかい。
よせやい。サッサとすませ、
脱いだパンツは、厄落とし。
(遠く呼び声)おん厄はらいましょう〜
こいつは、春から演技が良いわい。
と「ご利用」小芝居でもしてさ。跡形もなく、終わるのです。
どうしてこうもきたねぇ芝居になるのか、(言っちゃあいけないことだけどあえて言うか)。
北区東十条の文化なんだろうなあ。東京の田舎文化から結局抜け出せなかった「とんねるず」。出はじめは下品でもいい、しかしまあ、アンチ「いき」を押し通し
「よくぞここまで洗練せずに、下品でいられたなあ」
というのが「とんねるず」の芸。ぼくは、この下品がはじめから大嫌いだったのだけど、「日本のお笑い史」を繰ってみるとトニー谷なのかなあ、クリソツは。外道にはじまり、外道に終わる、(あ、終わりますよ)。
トニー谷はハワイで暮らし、時々、日本に戻っていたが「とんねるず」はどうするか。
日本のハワイ、東十条で暮らすのか。悪くないか。銭湯もあるし。
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