突然、ラストの一行にシカトという言葉が出てきた。いそいで消した。だってぼくが普段、使いっこない言葉だ。
そしたら次に「くるみ」がやってきた。シカトと「くるみ」か。
「くるみ」は、ミスター・チルドレンの「くるみ」で、シカトはあの無視をするという意味のシカトだ。この二つがぼくの頭の中ではつながっている。誰にもわからない、迷惑な話。続けていいかなあ。
○
ねぇ くるみ
この街の景色は君の目にどう映るの?
いまの僕はどう見えるの?
シカトという言葉を書いた。さあ、漢字にしたらどう書くのだろう。迷った。そしたら、クルクルいろんなことが回ってきた。
そう、いろんなことさ。若いヤクザものが吐くように言っていた。
「兄さん、そんなものシカトだよ」
真っ青な顔で、隣の刺青に声をかけていた。
ねぇ くるみ
誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ
そんな時はどうしたらいい?
パチン、札を手の中でひっくり返すと、パチンと音が鳴る。
パチン、裸電球の下、白い布の上に札がはじける。
「しょうがねぇなあ」
そーさ、負けたことはしょうがないのさ。負けたことにシカトするしかないのさ。
白い布の上の札は紅葉の十(とお)だった。
良かった事だけ思い出して
やけに年老いた気持ちになる
とはいえ暮らしの中で
いま動き出そうとしている
歯車のひとつにならなくてはなぁ
紅葉の十札(とおふだ)、「鹿の十(とお)」がその一枚札の名前だった。
あー、だからシカトなんだとぼくはおぼえていた。札の中では鹿がそっぽを向いている。
「あんたのことなんか、あっちゃぁ少しも知らないよ。他をあたってくれ」
鹿の頭はそっぽを向いている。博打の薄情さを
「オイラの顔でも見て、勉強しな」
と教えるように立っている。
希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ
いつの頃からだろうか。
鹿の頭がそっぽを向いているから鹿頭で、シカトなんだという人が現れはじめた。だいぶ持っていかれた気がする。話のスジがいいからね。これなら十札(とおふだ)の説明をすることもいらなくなる。
発音だって昔は「シカトオ」だったんだよ。
シカトというツマった音になって、途端に女の子さえ使い出した。
「あんな奴シカトしてやったよ」
ぼくがシカトという言葉を知った時代とのあまりの落差に、聞いてるだけで気恥ずかしくなる。
どうして。
ねぇ くるみ
あれからは一度も涙は流してないよ
でも 本気で笑う事も少ない
シカトというのはねぇ、明日がわかんねぇヤクザもんが使うもんで。家のある子が使うもんじゃない。布団を敷いて待っててくれる人が使うもんじゃない。そう思うのさ。
根無草で、仕方のないやつの言い草さ。
「ママ、結婚しようよ」
「なに馬鹿言ってんの。もうおばあちゃんよ」
「子供だから、好きだの嫌いだの言ってるのよ」
「ママはなんで生きてるの」
「…もっと他のことで生きているのよ」
こういうデラシネの世界の通用語なのさ。
希望の数だけ失望は増える それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」 想像してみよう
出会いの数だけ別れは増えるそれでも希望に胸は震える
引き返しちゃいけないよね 進もう 誰もいない道の上へ
ミスター・チルドレンは、どうして「くるみ」の映像にシカトを持ち出したんだろう。ステージの横に立たせたんだろう。あれ、誰もいなくなると、鹿は黒い目を真っ直ぐこっちを向けている。シカトをやめたのかい。
わからないなあ。
ぼくは、このテーマにシカトできなかった。
「くるみ」は、未来の反対で「過去」なんだと教えてくれるページがあった。
そっかあ、「くるみ」は来未と書いて、未来の反対か。うまいなあ。こびりついて離れない「くるみ」とシカト。シカトというのは無視できない過去のことで、「くるみ」とは過去を呼び出す暗号なんだ。ぼくが「ねぇ くるみ」と歌うと、シカトした過去が戻ってくるんだ。
そうだよね、「ねぇ くるみ」。
主人公の映像のはじまり見るとすぐわかる。いけねぇ、あいつ、泣いてるわ。わかりにくい話が、わかり安くなりすぎる。
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