「わたしの言論を封じることはできない。」
久々に心地よい言葉で、すーっと風が流れる気がしましたね。
言論、いいなあこの言葉。特に若い人が発するから、いいのですね。ぼくらの時代の女子大生ならこの言葉を多用しました。どうしてか、言論を封鎖する年寄りがのさばっていた社会だったからです。
この生硬さが、ぼくらの時代の味だった気がする。あまり角の取れてない石ころのような言葉を持ち、既成の洗練を求めず、古くて忌まわしいものを弾き飛ばして生きていく若者の姿。つまりボブ・ディラン的な若者の時代です。
○
はじめの一行は、実はX子さんが出版したフォト・エッセイ集のラスト近くに書きこまれた言葉です。ぼくには全体の核のように(読み上げを聞いていますので)聞こえます。フォト・エッセイ集というはなはだ手触りの良い仕上げの本のラスト付近に現れた「軟骨」のような言葉。
あの人たちは「わたしの言論を封じることはできない」。
パチパチパチ。おしゃれな淡い装丁なんかどうでも良くて、ぼくにすればこの言葉に
「人はこうでなきゃいけない」
と瞬間に反応します。うれしいのです。
○
反対のもの。(わかってもらえるかなあ)ジャニーズの(キャスターを名乗る)連中です。
見てくれは若々しいのだが、老人たちが操るデク人形のような人間性。
「あんたらに言論という言葉が使えるか」
「言論というのは、生きてる人間が支えるものなんだよ」
「ジャニーズには言論がないのですか」
「あったり前じゃないか、金以外にあんたらはどんな基準があるの。ありゃしない」
「10歳の時に魂を売り渡したあんたらは、空っぽの人形(アイドル)になることを誓ったのさ」
「ジャニーに人間をあげちゃったんじゃないか、あの日だよ」
こんなことから教えなきゃいけないからアイドルは嫌なんだ。
じゃあいい。カメラに真っ直ぐ向かって「言論」と言ってみな。およそつり合わない姿に恥じて、自分から逃げ出したくなるだろう。
○
どうして女子大生は言論という言葉を使わなくなったのか。
これはねぇ、簡単な答えです。オールナイト・フジが言論という言葉を女子大生から奪ったのです。社会に言論を発信しようと思っていた女子大生は、
「女っぽさ使うのが効率的かな」
と路線転換をはじめた。(もちろんオールナイト・フジ的女子大生は全部ではなく部分です)。
そこを社会はすぱっとさらって言いだした。女子アナブームです。
女子アナブームとは、実は女子大生を「ジャニーズ仕様」に仕立て直す作業だった。いま、ぼくは思っています。
女子大生に学んだものをバサバサバサッとはたき落させて、まるっきりの女が見え出したら人前に出す。そおゆう作業だったのか。
○
X子さんが「言論」と言いはじめたのは、実にわかりやすい時代の転換点を教えています。つまり「性」ではなく、「言論」の時代のはじまりです。いいですか、これをきっかけに、これからは「性」を売り物にすることはどちらの「性」からもできにくくなる。
そうだよね。
時間による多少の凸凹はあるにしても。
体力という部分ではとうてい万能ではない女性が社会に関わる時、なにがそれを補うのか。
当たり前だが「言論」です。落ち着いて、裏表のない、男にはできない(ここが大事)ピュアな言論を発して欲しいのです。
「マイ・ピュアレディの時代」です。
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