━2004年紅白の実相「なんてだらしがないアンタです」━
紅白歌合戦を見た。言っていいのかな、あまりのヒドサに可哀想になるほどだった。
なにが、どこが。
家族全員で歌える歌がない。紅白という男女で戦うという構成自体もはやありえない、時代遅れ。というような批判はもう言われはじめて何年にもなる。
そんなことはわかっているさ。
でもねぇ、歌に力があれば、支え切ることはできるはずなんだ。何しろ「歌合戦」なのだからね。歌に力を与えることでしか、この相当に重い病人は持ち直すことはできないよ。
大量の芸人の投入なんて、なんの力にもなりはしないし。
「ヨイショ」は歌じゃないし、ましてNHKで芸人がやる「ヨイショ」は目も当てられないほどひどくて、煮ても焼いても食えないものさ。
○
時代をとらえる言葉がない。生きた言葉がない。言葉に力がなくて、リズムで弾みをつけさそうという歌ばかりで、これじゃあ「歌に力」が生まれるわけはない。
すべすべの言葉をリズムの中に埋め込んで命を与えようと躍起になっている。わずかに成功しているものといえば「英語マジリ」の擬似日本語。
「ブリン、バンバン、ブリン、バンバン」のCreepy Nutsが代表かな。
どうしてこうなっちゃったのかね。
作り手がダメなのか、聴き手が悪いのか。どっちもダメなんだろうが、受け持ちからいえばまずは作り手なんだろうね。
○
リズムで届かせるという仕事は、日本語には一番苦手な役目なんだ。標準語とかNHK語が広まってきた時から余計そうなってきた。それを「なんとか」克服するために、桑田佳祐は巻き舌になり、桜井くんはそれに続いた。吉幾三はナマリをリズムの一部に再構成することでヒットを生み出した。
ところがこの数年、いよいよリズムに身をまかす安易な道を選ぶしかなくなってきたようだ。半分ないし半分以上、英語でできた歌が続いている。
もっと率直にいえば「刀折れ矢尽きた」状態なのかもしれない。荒野のような日本の歌の世界なのだろう。
(スギヤマコウタローや筒美京平という音楽の先を見通してきた人たちなら、
「そーさ」
と吐き出すように言うだろうか)
当の若者は「ふてほど」のように日本語を短縮することしかまるで頭にないようだ。こいつは日本語の変化にも「空白の30年」が進行していたと言うことなのか。
○
さーて、そこで今年の紅白のためにNHKは、どんな道を選んだのか。これが馬鹿げている。「B’s」を目玉にしようと企てたんだ。ロックのスタイルをしていても、つまりはリズム歌謡のカテゴリーに過ぎない「B’s」に「歌に力」を与える役目ができるわけがない。
「ウルトラソウル、オーッ」
3分間ほどの軽いハネあがりができるだけで、虚ろな空間はすぐに戻ってくる。
○
この日、ほんの一瞬だけだが、人のこころを捉えたのは
「赤い手拭い、マフラーにして」
のワンフフレーズだったし。いちばん空虚だったのは、ミーシャのなんとも馬鹿げた意味のない大声だった。
世の中の表情はやはりいつでも素直なものだ。
○
中島みゆきをどうして連れてこないんだい。(きっと交渉はしたんだろうけどね)
言葉に命を与えることのできる最良の人が出ない紅白は、幾分かでも切れかかった歌の命を継ぐこともできる唯一のシンガーからも(想像だが)見放され、
「B’sが出て、中島みゆきが出ない紅白」
として語られる回になってしまったのさ。これが、この年を表現する言葉になる。
「あの時さあ、あの年の暮れ、どうしてた」
「え、え、あのB’sが出て、中島みゆきが出なかった年か。つまんなかったなあ」
国民的チャンネルは結局、これがジャニーズを克服できないこととつながっていることに気づかないだろう。(芸能をうわ部だけで、やりすごそうとする)。国民的チャンネルの芸能班は、どうやら時代の真相を追うことがとても苦手なようだ。
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