中学生の時、ある一文について解説が書いてあるテキスト本が配られた。作文の先生がまだ若くて(大学の講師だったかな)自分の好きな色々なものを中学生に教えたくて、テキスト本を作ったのだね。
タイプ印刷という当時の軽印刷でできた、そう厚くない本。タイプ印刷とは思い出すだけでも懐かしいなあ。
若い先生は漢文が専門で、たくさんの漢詩、そして漢詩の解釈を助ける世界の詩が書かれていた。海潮音(上田敏)と近代訳のヴェルレーヌの二つの対比訳があったり、あの「ひたぶれてうら悲し」の上田敏と堀口大学の訳の違いには感心した。
いま思えば若い先生は熱心だったんだろうな。
いいものがたくさんあった。でもね、いまだにくっきり覚えているのは于武陵の「勧酒」という漢詩だった。それが、はじめの「ある一文」でその漢詩の出自と変化を最小限で説明していた。
勧酒 于武陵
勧君金屈巵
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離
(読み下し文・大江千里)
君に勧む 金屈巵(きんくつし)
満酌 辞するをもちゐず
花ひらけば風雨多し
人生別離たる
句題和歌・大江千里
句題和歌とは漢詩を本歌にした和歌で、
この勧酒の句題和歌がどうにも見当たらない。で、略。残念だなあ。
そして、昭和の訳。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
いまやほとんどの人は知っている井伏鱒二の訳なのだが、それが平安時代を経て
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
に至る魔法のような時間にぼくは、まあ、気を失いそうだったのだ。文学は、ある日、変態して忽然と登場する、という驚きだった。
太宰治の『「サヨナラ」ダケガ人生ダ』の出典がここからだとごくごく短い解説がついていた。
「そーか、太宰治の師匠は井伏鱒二なんだ」
と生半可な知識の中学生は生半可に少し上塗りをした。そして読んだばかりの「斜陽」を思い出した。
「先生、井伏先生、ぼくに芥川賞をください。」
という必死の泣き言のことは後で知るのだが、ぼくの中では太宰治の人物像はこの時にできてしまった。だから太宰好きという少年病にはならなかった。
これも後のことになるのだが
さよならだけが 人生ならば
また来る春は なんだろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません
寺山修司の「幸福が遠すぎたら」を読んだら、
「あまり尊敬していてもしょうがないな、それだけじゃあ立ち止まっているだけだ」
と気がついたのだけど、その時にはぼくはもうだいぶトシになっていた。若い先生は村山 吉廣(むらやま・よしひろ)と言って、早稲田の名誉教授になってすでに退職していた。
時と思い出。先生にお礼を言いたいなあ、と思うのはこんな時なんだろう。
追記、大江千里の句題和歌を見つけたいなあ。
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