━坂の上の雲�イ茲螯�
糸瓜 咲て
痰のつまりし
仏かな
まだ生きている自分を「仏」と床の中から書いた翌朝、子規は死んだ。妹のりつも河東碧梧桐も横になっただけの姿で側にいて、ほとほと疲れ切っていた。明け方、ふと気がつくと死んでいた。
「兄(あに)さん、もう死んでもいいよと思うけん。でも、兄(あに)さんは生きようとするのよ」
「ウチの作るご飯、残さず食べよるんよ」
りつのカイナに抱えられた子規は望み通りというか死人(しびと)になっていた。
人生の時計はこんな時、かなり段差のある大きな動きをするのだろうが、人は気付きたくないと素知らぬフリをして時を押し流す。
妹の
帰り遅いよ
三日月
もう待つ人のない谷中でこれから一体どう生きていくのか。松山を引き払い、母親を引き取り谷中の小世帯で暮らすことにした。(その家が、りつの丹精で、後の「子規庵」になる)
「ジュンさん、ウチ、学校に入ろうと思います」
「兄(あに)さんも、オナゴも勉強せにゃいけん、と言っとりました」
「あー、それがええ、それがええ。ノボさんも喜ぶことじゃろう」
そーっと時が動き出す。
人は生きて出会い、死んですれ違う。
それなのに(生きているうちにすれ違ったらいかんのよ。なにが悲しゅうてすれ違いをはじめるのよ)
テレビという遠目に見ていればわかることで、上から「ほらっ」と声をかけたいのだが、カットごとにジュンさんとりつは離れていく。「神田川」のように悲しい。
神田、共立女子職業学校の前でのことだ。
「ウチは、自分のために生きていこうと思ぅております」
「ほーか、それがええ、それがええ」
ジュンさんはまたも同じように答える。他にないのか。馬鹿のひとつ覚えのように答える。日本軍人の馬鹿ヤロー。
どうすれば良かったのか、良いのか。つまりね、いい答えはね、
「あのう、さあー、キミとキッチンを、選びたい」
どうしてこう言えないのかなあ。古い人間だからなのか。
そうしたら、りつはクリナップの辻知恵のように
「はぁーぁ、なに、なぁに」
「言ってよ、言ってよ」
とジュンさんの胸を何度も何度も叩いたことだろう。
ぼくはね、ジュンさんの服がりつの拳(こぶし)で破れるくらい叩かれる姿を、見たかった。
○
上の糸瓜の句と合わせ、三句が子規の辞世の句とされています。
痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず」
をとゝひの へちまの水も 取らざりき」
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