「女の浅知恵」って禁じられた言葉になるのかな。余分だけど「禁じられた遊び」に似ているね。起きてることも似ている。主人公の少年は良いと思っているんだけど、禁じられていたんだ。あーあ。
「女の浅知恵」、いまこの言葉を使うとあちこちから弓矢・鉄砲のタマが飛んできてハリネズミのようになっちゃうね。火ダルマ、矢ダルマだ。
けれどね、他のどんな言葉より「女の浅知恵」がぴったりなもんで、使いたい。ここで使わないと後世のためにならないと思えるんですね。
えーと、兵庫のPR会社「メルチュ」の折田さんですね。
どこがと言えば、その舞い上がり方です。
「みんな、見て見て。みんな、聞いて聞いて」
もう飛び上がらんばかりの勢い、(謙遜とまでは言わないが)なんの反省もなければ、まして冷静な分析もない。ただただ
「やったよー、やったーもんね」
ヤッターマン語録です。ドロンジョもびっくり逃げ出す。見ていて恥ずかしい。
「あなた、運動会で一等賞とったんじゃないのだから、いい加減にしなさい」
ぼくはこころの中で叫ぶのだが当然、届かない。恥ずかしき自分の姿が見えないのかなあ。手放しの無邪気さには、もはやオツムが聖なるものの領域を感じますね。
ぼくらは笑っちゃうですむのだが、本気で怒っているのは良識ある女性ではないのかな。
「こういう馬鹿な女がいるから、いつまで経っても馬鹿にされるんだ」
と思うわけですね。
「今後もいろいろなお仕事でお付き合いさせてください」
とここまで書いてあるのを見れば、これはもう選挙についての知識があるなしではなく、節操のなさにあるということがどうやら見えてきます。
自分に都合のいいことがあると、おかまいないしに油紙が燃えあがるようにメラメラと喋っちゃう。「女の浅知恵」と言われるものの正体ですね。(自分の感情が先行し)人をおもんばかるこころがどこかに行っちゃってる。後世のために、このような有様は「女の浅知恵」と称された、とか書いておくと良い思ったわけです。
節操がない人。節操とは日本の女性の美徳だったように思うのだが、急速な女性の社会進出と同時に(たまたまとしようか)トブときがあるんですね。
もうひとつ厳しい言い方をさせてもらいます。
折田さんの声は、権力に近づいた(いやもっとかな)、やっと手が届いたというきわめて俗な快哉ととらえるのが実相のような気がする。で、それを多くの人が気づいていて
「これは、先々のことを考えてもとうてい見過ごせない」
という心象を持っているのだろうと思う。
この見方から比べれば「女の浅知恵」なんて、お手やわらかな答えに過ぎなくて、ぼくもそのことを承知で控えめに書いているつもりです。
折田さん、謙虚さは大切だよ。
と同時に、何度も書いているのだが
「これは陰謀を『地域文化』として楽しんでいるとしか最早言いようがない」
という言葉に戻るなあ。
不思議なほど、不思議な人間が次々登場してくる。
異常なメンタル、斎藤知事。
涙はないが泣いている、副知事。
人望もあるが不倫もある、元局長。
時々オトボケマン、奥谷委員長。
(ひと段落すると)
N党の大騒動男、立花孝志。
浅知恵のひと、折田さん。
(チョイ役でも)
トコロテントーク、稲村さん。
黒幕指名・突然辞任、竹内県議。
すごいなあ。(いま再放送中の)「白い巨塔」よりすごいかもしれない。どうしてこうも揃うのかなあ。これは地域性という答えぐらいしか言い出しようがないのではないのか。
尼崎から向こうの濃密な文化。密集して混濁している人の街、人の文化。時代もあるし、地域の名残りもあるだろう。
これね、下手に平易な言葉にすると半分以上、差別用語になるから書きづらいよね。
阪本勝がいっ時は収拾させた兵庫県政。
小池裕次郎、小池知事のお父さんの政治的難破。
岡林信康は長田で「チューリップのアップリケ」を歌っていた。
織原城次の家族を思い出したりするし。
震災後、前川清は「そして、神戸」を再び歌った。
西村康稔は、裏金疑惑で潜行している。
長田生まれの斎藤知事は、20年にわたる井戸県政を覆した。
どうも脈絡がないね。ないと思うでしょ。しかしね、これが徐々にほぐれながらかすかにつながっていくよ。人と時と場所の不細工な出会い。不思議な登場人物の羅列が、長い時間の中ですれ違い肩をぶつけていく。声をかけたり、微笑んだり。
煮詰まった地域で起きることは、そのほとんどがつながっているんだから。そして、驚くような大河ドラマになっていくのさ。そうして、そうしてね、折田さんがNoteの最後に書いた(希望のように)
「いつか映画になるといいね(笑)」
となっていく。
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