○2010年12月17日の日記再掲載
ぼくは二つのララバイが好きだった、という話です。
なんてことのない、いつもの「歌謡曲ほめ」のひとつにすぎないのだが、この2曲は似てないようで似ている。それを伝えたくなったのかな。それはねぇ、「あわいやさしさ」だ。強くない「あわいやさしさ」。
思い出をあまり強く抱きしめないで、そーっと手のひらにのせている。そういう人の姿が浮かびます。
(2010年に書いた原稿ですが、この2曲はともに100年は残る曲でしょう)
○
ぼくは歩きながら、よく歌っている。変なオジサンと思われないようにギリギリ小さな声でね。昨日はまったくなぜかララバイ特集になってしまった。
いろいろなララバイがある。
その中で二つがこころに残っている。残っているというより、こころの一部分になっているのだろうね。
ひとつは
「ララバイ
ひとりで 眠れない夜は」
これは上手いなあ。
「ララバイ
今夜はどこからかけてるの
春は菜の花 秋には桔梗
そしてわたし夜咲くアザミ」
『アザミ嬢のララバイ』、みゆき様は上手い。
行間の空けっぷりも上手いし、「今夜はどこからけてるの」の唐突ぶりは感心するしかない。
それにわずか10文字で、ほぼすべての情景がひらけてしまう。
「わたしはどこ、あなたは誰」
もうなにも言わなくても、世界は目の前にあって、人は生きている。すごいなあ。
「ララバイ ひとりで泣いてちゃみじめよ
ララバイ 今夜はどこからかけてるの」
リフレインの中を、あわいやさしさが気嵐(けあらし)ように流れていく。
フムフムと頭の奥でなぞっていたら、もうひとつこころに残るララバイがでてきた。
「午前3時の東京ベイは〜」
リーゼントの髪が目の前でクラクラッと揺れた。
「まるで人生 飲みほすように
にがい顔して ブランデーあけた」
みゆき様と比べると、松本隆の詩は大分、通俗的なのだがこれはこれでいいなあ。
「名前は? あだ名ならあるは
生まれは? とうに忘れたの」
まるで「カサブランカ」だね。
え、まてよ、中原理恵か。耳の上にゆったりかかるウェーブのリーゼント、濡れたような瞳、とまどうような表情。ヘップバーンの「麗しのサブリナ」のように、「幸せはパリで」の時のように、清潔で美しい日本ではじめての女性のリーゼントだった。
そう、そいつはぼくの理想だった。
なんて思いだしながら歩いている。好みなんてまま変わるにしたところで、ぼくのある時期の理想であったことは変わらない。
などと頭の中で理屈をこねていたら
「明日がない 人生はもどれ〜ない」
というフレーズまでとびだしてきた
そうだね、あんたの言う通りだよ『東京ララバイ』さん。
その瞬間、ぼくは多分にがい顔をして、冷たい空気をひと口飲みこんで、歩いていたのでしょう。
この曲のラストが
「ないものねだりの子守唄」
であることに気が付いて、ぼくはと言えば少しタフな顔を取り戻し、その日の最後の数十歩の歩を進めた。ゆるい下り坂だった。
これだから「ララバイは歩きながらがいい」と少し人生を噛み締めながらね。
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