「馬鹿野郎、なにゴソゴソしてんだよぉ。
芸人がよ、押入れのホコリ舐めてどうすんだ。この野郎」
「馬鹿野郎」と「おはよう」が一緒くたにやってくる「深見の師匠」。ですけどねぇ、師匠の芸をまんま伝えたくて探すのだが、ない。
デン助芝居に出ていた時の画があるそうだが、探せどまったく見当たらない。
「うーん、どうしようか」
と悩んでいたら、良いことを思いついた。
美ち奴、美ち奴。ここを押せば笑いの泉わく、と出ました。
美ち奴は、「深見の師匠」の実の姉さんで浅草の売れっ子芸者、それでいて大ヒット連発歌手です。
この美ち奴の歌が、浅草気分を実によーく出している。
抜けるような青空に映えるノー天気な自由、アチャラカな気分がそっくり浅草。聴いてもらえれば、パッとわかるのですよ。
けれど少しはトバグチから伝えないと、とても聴く気にはならないでしょ。なもんでここで教えます。水たまりに、呼び水の道を作ります。
まず、いちばんのヒット曲「あゝ、それなのに」です。これ一曲でもいいくらいの、と〜びきりのジャンプ力。(作曲はなんと古賀政男、音頭調の歌とリズムです)
行きますよ。
空にゃ今日も アドバルーン
さぞかし会社で 今頃は
おいそがしいと 思うたに
あゝ それなのに それなのに
ねぇ おこるのは おこるのは
あったりまえでしょう
いいでしょう。「青空にアドバルーン」ですよ。なかなか出るもんじゃない。ジャンルで言えばお座敷ソングなのですが、歌い出した途端ノンシャランとした人の姿が行き交います。この行き交う抜け抜けしたおとぼけ人物像をそのまま役者にすれば、そうです、深見千三郎です。
「タケシに似ているねぇ」
そりゃあそうです。憧れていますから。
「植木等にも似ているでしょ」
はい、そうです。深見千三郎、タケシ、植木に共通しているのは笑いの火薬、解放するアナキズムです。
どこでなにして いるのやら
思うはあなたの ことばかり
などと続きます。
詩は健気な気分を出していますが、だまされちゃあいけません。美ち奴の浮世離れした甲高い声は、歌の世界をただただ非日常な世界に持ち上げちゃいます。まもなく(はじまる戦争で)崩壊しそうな戦前の庶民の生活の先行きがしらしらと見えてくるのです。そこから、
「おこるのは おこるのは あったりまえでしょう」
という時代の言葉が曲からこぼれ落ちているのです。
(その中で深見千三郎は、事故で指を失います)。
美ち奴は、やはり有名な「ウチの女房にや髭がある」とか、「月が〜出た出た、月が〜出た」の「炭坑節」など
「あれぇ、これもそうなのー」
のヒット曲連発ですが、「深見の師匠」に少し話を戻します。
タケシの一番弟子は誰でしょう。
はい。そのまんま東、です。その東が、大森うたえもん(当時はクンタ)とコンビを組んだのが「ツーツーレロレロ」ですね。その「ツーツーレロレロ」ですが、これがなんと美ち奴の大ヒット曲「ツーレロ節」の掛け声です。
一目惚れなら山ほどあるが
しみじみ惚れるわ ただひとり ただひとり
ツーツーレロレロ ツーレーロ
となっています。正確な命名の由来はどこにも書いてありませんが、東と大森は浅草のハコに出すので「深見の師匠」を思い出したんだよなあ、と思えて仕方ない。
「深見の師匠」はテレビの芸などを無視していた「幻の芸人」なのですが、その理由はなんだったのか。
「(指がない)障害者である自分がテレビに出るのはそぐわないよ」
と思っていたのだろうというのが大方の想像ですが、まぁそうなのでしょう。
けれどもうひとつ。戦争に行けなかった、行かなかった自分を恥じていたんじゃなかろうか。だから人前なんかにシャシャリ出るんじゃねぇよ、としていた。
「俺らぁ、フランス座で一杯だよ。なぁ、タケ」
酔っぱらってタバコをくわえた「深見の師匠」の隣には、タケはいなかった。
「深見の師匠」は寝込んでしまった。
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