○2006年12月12日の日記再掲載
ぼくと兄が買ったばかりのクルマに乗ろうとすると、人が忍びよるように近づいてきた。
場所はと言えば、商店街のまん中の駐車場で、夜中とはいえ街灯は点いていて危ないところとはいえないのだが、うす暗がりの道の端をつたうように近づいてくる。
「えっ、なに、なにか用…」
ところが黒い服を着た男はまったく返事をしない。そのまま黙って近づいてくる。
「これは変だ。これは異常だ」
さっとぼくは緊張した。さっと、というとそりゃあかっこがよいがゾッとしたのかもしれないな。
「クルマを盗みたいのか、お金を盗みたいのか、そのどちらかだ」
黒い服の男は、ぼくらの手のとどくところまで近づいて黙って立っている。兄はすーっと右手を出した。男は手慣れた様子で右手を交わし、頭をグイと向けてきた。頭カウンターだった。
ガッツン、にぶい音がして頭突きが決まった。
頭からピューと血が吹き出した。倒れた。
これは、かなりの達人だ。
あーあ、こんどは、ぼくの番だ。
「いやだなあ。こんな無気味なやつ」
ぼくは、どうにもこの忍者のような男と闘うのは気が進まない。
グルッ、グルッ、グルッ。互いにというか、いわば時間稼ぎのようにゆっくり回り込みはじめた。
「先に手を出すわけにはいかないし。どうしたらいいものか」
はっきり言えば、腕にそう自身があるわけでもない。
もうイヤイヤの状態です。
困りはてていると、バタ、バタ、バタ、大きな足音がして、もうひとりの黒いコート、黒い服の男が近づいてきた。
「いやぁ、もうやめてよ。ほんとに、もう」
ところが後から来た“第二の男”はやにわに手に持っていた傘で、忍者男をボコ、ボコ殴りはじめたのです。
「この人たちをなんだと思っているんだあ、お前」
ボコ、ボコ、ボコ。
ボコ、ボコ、ボコ。
モーレツに傘で殴っている。まだ、その時代には“ボコボコにする”とか“ボコボコになる”などという言葉は世の中にないわけですが、いま思えば、ボコボコなんです。
その“第二の男”はもちろんオーソン・ウエルズではなくて、なんと近所のパチンコ屋のマネージャーだった。しかも相当に酔っぱらっている。こういう時になんだが、酔った勢いがある。恐いものがない。忍者でも、亡者でもオーライだ。
「こういう通りでなあ、そんなことしてすむと思っているのか」
まったく好調です。
ボコ、ボコ、ボコ、傘も回るが、舌もまわる。
ワオーン、ワオーン、ワオーン。パトカーの音だ。
近所の誰かが通報したんだな、きっと。
パチンコ屋のマネージャーが、そろそろ大声と傘ボコに飽きはじめた頃、パトカーが道の両端から入って来た。現場をびっしりパトカーがふさいだ。いわばロスの逮捕劇のようだ。なかなかの大変な大立ち回りをしたもんだ。
ぼくらは、被害者で怪我もしているわけだから「明日、警察に」ということで、なんとかその夜は終わった。
と、ここまで書いてみるとバカな兄弟の立ち回りなのだが、翌日の警察での話がおかしかった。
部長刑事は言う。
「あのなあ、あいつ、殺しで1週間前まで刑務所に入っていてな。出て来たばっかりなんだよ。よく助かったよ、お前たち」
「フーッ」と、ぼく。
「それにしても、どうして、傘で殴られていたんですかね」
「それがなあ、あいつ、マネージャーを刑事だと思ったんだとよ。そいでまあ、しょうがないんで、ぶたれていたというんだ」
「おい、お前を殴ったのは刑事なんかじゃないぞ、と言ってハコ(取調室)で刑事連中でバカ笑いしてやった。そしたら、あいつ、泣いてたぞ。ボロボロ、ボロボロ泣いてたぞ。がっくりしたみたいだ。野郎、これで、悪くすりゃあ7〜8年は出戻りなんだもんな」
「アリャー」
というわけで勝手に刑事と勘違いされたパチンコ屋のマネージャーは表彰され、警察からはその後、随分、(商売のことで)お目こぼしをしていただいたそうですよ。
ぼくらはと言えば、兄は頭を5針縫い、ぼくはこのギャグのようなイキサツをいまでもおぼえている。そして、マネージャーに顔をあわせると本物の刑事がするように小さく敬礼をした。マネージャーも敬礼を返してくれた。
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