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2024年09月27日02:06

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スターマインのように。

○2011年08月08日の日記再掲載


 一度に数十発の花火が打ち上がる。空にとどくと、その数十発はさらに数十発に分かれる。点が一斉に発火する。

 空一面の金色の広がり、金色の輝き。

 金の光りは菊のカタチに広がり、天空の豪奢を演じてくれる。金の菊は開いたところでわずか一瞬だけ止まり、すぐに空にニジむようにまた広がる。その半呼吸の間、天空にまぶした金粉がまるでからだにおおいかぶさるような仕草になる。

 はっと息を飲む。無数の金粉から、逃げるように身を反らす。

 ドカーン。
 小花火と親花火、数十発いや百発を越えているのかも知れない、その破裂音がひとつになって、天上の太鼓の皮を打ち破りとどいてくる。

 深い厚みのある音、カラダの芯に届く音のエネルギー。

 そして、続く大きな空白。観衆が花火の煙りにくすぶった真っ暗な天空の空白から目覚め、
「いま見たものはなんだったのか」
 というざわめきがはじまりそうな頃、アナウンスが聴こえてくる。
「本日の花火大会はただいまのスターマインを持ちまして、すべて終了しました」

 三尺玉、四尺玉という大玉を使えなくなった各地の花火大会では、このスターマインが花火のトリになっている。

 いさぎよさ、華麗な爆裂、見事なドラマ性、驚きとため息。
 スターマインは、この世のすべての夢の真相を教え、素早く手仕舞いする。そうして、
「もうわかったろう、だから家に帰りな」
 そう催促しながらいなくなる。


 ぼくは「人生劇場」という小説を子どもの頃から読みふけっていた。中でもラストの描写が好きで好きでたまらない。(父親が飛車角を良く知っていたせいもあり、いろいろな版の「人生劇場」が家にあった)

 主人公、青成瓢吉は子どもの頃に見初めた少女、「おりん」が忘れられないでいる。
 少年の時、風呂場で見た「おりん」の裸身は、青成瓢吉の夢の実体だった。どうしても(自慰のように)、こころの手が伸びてしまう。
 もう老年を迎えた青成瓢吉が故郷を訪ね、桟敷席で花火を見上げている。だがすでに大分酔いがまわっている。光が揺れている。揺れた目で隣を見ると、「おりん」がいる。
「あ、おりん⋯」
 声をかけようとするが、そのままのめるように桟敷きの中に倒れ込む。草いきれが瓢吉の顔を包む。

「おりん」がいたのかもしれない、いや、幻想だったのかもしれない。主人公はたんに酔いつぶれたのかもしれない、いやそのままこの世を離れたのかもしれない。すべては虚に包まれて終わる。

 ほぼ誰も読み通したことのない「人生劇場」はこうして終わる。

 
 スターマインは、そういう人生の虚を天空で演じてくれる。ゆっくりと光が崩れていくスターマインだが、
「さあ、見たかい」
と念を押すように音は少し遅れてとどき、熱くカラダを打つ。光は消えたが、音はカラダを叩いた。虚と実が交錯するように。

 実際のところ大長編「人生劇場」が(再三の中断はあるが)終了した時には、スターマインはまだ存在していなかった。
 けれど「人生劇場」はスターマインの中で終わりを迎えるのがふさわしいと、ぼくはとおに信じ込んでいる。スターマインは「人生劇場」に引き合う名作なのだ。
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