○2009年12月06日の日記加筆
NHKで17年ぶりになるのかな。「坂の上の雲」の再放送がはじまった。
司馬遼太郎の代表作がドラマ化されることでスタート時は大変な期待感を持たれた作品だ。前作の「龍馬伝」の成功を受け、「さあ、どんな仕上がりになるのか」待たれに待たれていたのだ。
NHKならではのきわめて丁寧な「下調べ」の力なのだろう。司馬遼太郎の原作にない話を差し込むことで、際立つ臨場感が生まれている。ここが一番すぐれているところだとぼくは思う。
特に正岡子規の妹、律の抑制の利いた扱い方は、明治の日本人の美しさ見事に描いている。司馬遼太郎の苦手な「女を描く」ところを実にほどよく補っているとも言えるし、明治の市井の人生に命を与えている、ともぼくは思っている。
○
「坂の上の雲」を見た。菅野美穂が実にいい芝居をしている。抑制の利いたこころ模様とけなげな娘ぶりがなんとも涙腺をくすぐるね。
1回目からこうなるとは思っていたのだが律は
「秋山を好いちょった」というわけだ。
実際には「秋山を好いちょった」という証拠は史実にもほとんど残っていないようなのだが、明治の女は軽はずみにそんな証拠を残すわけはないわけで、でもこれが自然なのだろう。ぼくはかえって安心する。
後々のことだが、秋山真之が根岸の正岡の家に子規の墓参りに訪問する。
窓際に人の影が動く。
「あれっ」
正岡律は不信に思う。しかし真之は家に上がることなくそのまま帰ってしまう。
一時して
「先ほど正岡子規の墓所はどこですか、と尋ねた人がいましたよ」
と近所の人に教えられる。
「その人は海軍の軍服を着ていませんでしたか」と律。
「いえ、普通の服でしたよ」
「そうですか」一瞬がっかりするのだが、
でも律は
「あの影はジュンさんにちがいない」と感じている。
ここで、一度逃せば二度と答えのでない人生と言うものの淡い切なさが、律の表情から静かに知らされる。
(「ジュンさん」は秋山真之の愛称)
藤沢周平の「蝉しぐれ」で、ふくと文四郎の別れを思い出させる抑制の利いた美しいシーンがある。ふくと文四郎は他愛もなくすれ違う。人はすれ違うものなのだ。
正岡律というと(原作では)この場面を思い出す。だから「秋山を好いちょった」とぽんと出されると、ぼくは安心する。真底、安心する。
「よかったね、よかったね」
もうここでどこかしら泣きのこころがこんこんと湧いていくる。
司馬遼太郎も書いているのだがこの「男ばかりのドラマ」に、正岡律がこんな登場をしなければほとんどが男の話にかたよってしまうという理由もあるのだろうし、「ドラマのかたち」としてもこれが自然なのだろう。
正岡律は後年、鳩山家創設の学校、神田の「共立裁縫学校」を出て、裁縫塾で正岡家を支えていく。「共立裁縫学校」はぼくらの頃は共立学園という女子高で、言わば鳩山家の看板、胸の前に共布の横一文字の幅広ステッチがついたセーラー服で、実際には時代違いで着ていないのだが菅野美穂のあの共立のセーラー服姿が、ぼくなぞはもうすぐにちらついてしまうのですね。
つまり、とびきり気に入っているのだ。
菅野美穂のおかげで、これ、いいドラマになりそうだね。
「もっくん」がドラマの中の実年齢相応に見えている。
(実際の「もっくん」は秋山真之よりずっと年上)
そこには、役作りの努力もさることながらぼくらの時代の人生の長さがつくり出す「成長の遅さ」(悪く言えば大人になり切れない様)を反映しているのだろうね。これも感慨深い。
「兄(あに)さんのことよろしくお願いします」
と東京に向かう秋山真之に船着場で正岡律は声をかける。足元には波の水が迫っている。
「わたしはジュンさんが好きです」
と言っているようにぼくには聞こえる。聞き違いだろうか。
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