これが日本というものだ。
「何が」。
「何がとは、何だ」。
昨年からあれほど悪行をしでかしたとされる自民党とジャニーズ。それがのうのうと生き延びている。
「我慢ならねぇ」
と、まあ、これに怒りが止まらない人がいる。たくさんいるよ。けれどどっちも宙ブラリンで世の中は進行していく。
あのねぇ、これ、これが(何とか美しく言えば)日本の多面性です。それをね、少し説明します。
○
ドラマ、芝居で勧善懲悪というでしょう。
「だから時代劇は、単純でつまらない」
などと言われてきました。
ほんとに、そうでしょうか。悪人は悪人でまっとうしますか。いえ、いえ、そうではありません。
「ものの見方によっては善人かなあ」とか
「悪と思ったが、実は善だった」
というような転換がしきりに行われるのが、日本のドラマツルギィです。つまり文化のベースです。
○
人を多面的に見る。時代など様々な条件の中で、人物・出来事を押しはかる。それが、日本の見方。これは、江戸時代だってもちろんそう、 あの吉良上野だって
「名君だったのではないか」
という視点を与えたりしています。能などは、まさしく多面です。
ありました、ありました、実にわかりやすい例。「砂の器」です。
○
本場というのは何ですが、勧善懲悪の一本槍でドラマを仕立てるのはお隣の中国そして韓国です。ここのところに文化の大きな違いがあります。
中国で長い歴史を持つ京劇では、悪は圧倒的に打ち破られることになっています。そうでないと劇場に騒動が起こります。化粧では赤面は善、白は悪。善悪が徹底しています。ヌルイところがないのです。
韓流ドラマが受けているのも、実は
「勧善懲悪の一辺倒」
のドラマツルギィに従っていて、それが分かりやすさになっているという意見もあるほどです。
○
でね、多面的に見る文化の特徴が様々に宙ブラリンを作り出している、というのが日本の社会。良い意味での柔軟な対応となっていれば良いのですが、ヌルヌルした生ずるい奴らに、そこを的に
「いいようにオモチャにされている」
のであれば許しがたいものになりますね。ところがもはや近いのです。
○
典型がジャニーズ関連のタレントさんですね。自分がなすべき規範を実行せずに、よそから見えない手の中に「現金」を握って放さない。若いのに嫌な奴らだねぇ。(ついでに直言、女たちが悪い)
自民党の裏金議員も同じ、「現金」を握って放さない思想ですね。そしてズべラコベラ無駄口を叩く。
敵というか、悪というか。しかるべき人たちは、「現金」を握って放さない思想なのですが、世間は多面的に見るやさしさの対応に入っている。これが現状なのでしょうね。つまり、ここにも今年流行りの「乖離がある」のです。
○
多面的に見るのは良いことですが、日本という国の天井からよくわからん宙ブラリンがいくつも下がっているのは流石にねぇ、景色が悪い。悪人がブラ下がる「蜘蛛の糸」だもんね、変えようよ。
○
わかりやすい指標は
「キムタクドラマが打ち切りになる」
これがあらゆる世代に一番分かりやすい指標だと思っていたのだけど、いまひとつ判然としない数字が出る。わずかに10%切れ。
「よくもまあ、見るよね」
とは思う。だが、世間はあまりに上手すぎ。判断がつけにくい「魔球」です。
次は「自民党が下野する」だけどね。どうなるんだろうね。
世間は、さらに見事に不思議な球を放るんだよ、きっと。
追記:言いたいのはこういうことだ、もん。
日本人にとって、善悪の判断の根底にあるものは法律などより「個人の規範」です。ここで何かを感じるでしょう、実は、これは「腹を切れ」思想と同根です。極論すれば「腹を切る人」がいなくなり、「シラを切る人」ばっかりになっちゃった、わけです。
戦後なにかと立場の弱い精神論の隙間を狙って、「シラを切る」生ずるい奴がのたくっているというのが「宙ぶらりん社会」の姿です。
しかしながら危ない精神主義をここで持ち出すわけにもいかず、これならまあいいか、と前回の「潔さ」イズムを言い出しているわけです。
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