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2024年07月14日04:19

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「まっさかさまに」堕ちた天使へ

○2011年02月09日の日記再掲載

 東電OL殺人事件の3話を一括掲載します。

 東電OL殺人事件の犯人は当初、ネパール人のゴビンダ氏が逮捕されるも無罪、有罪、無罪と二転三転を繰り返した難事件です。ゴビンダ氏は、ようやく最高裁で無罪を得ます。
「東電OL殺人事件」の著者、佐野眞一氏のネパールまで足を運ぶ努力が無罪への大きな力となったと言えるでしょう。
 その佐野眞一氏も、もう亡くなりました。
 事件のヤマは、東電OL嬢と再三、交接しているゴビンダ氏の行動。現場トイレに捨てられた装具内に残るゴビンダ氏の体液。とても覆そうにない証拠の存在をひっくり返しています。

 真犯人は、事件後、巣鴨に隠れていた男の存在などが語られますがその後、捜査の進展はありません。
 けれどもっとも不可解なのは東電OL嬢の「堕ちる心理」です。様々な書籍が出ていますが手応えのある答えらしきものは未だにありません。

      1

 まっさかさまに〜
 堕ちて  DESIRE

 中森明菜が「まっさかさま予言」をしていたのは何年前になるのだろうか。あれから誰が、何人の人間が、時代の奈落に堕ちて、辛酸をなめ尽したのだろうか。そいつはちょっとキリがない。

 ぼくは「東電OL殺人事件」を読み返していた。
 さて、もうほとんどの人は忘れているのかもしれない。平成9年、東電のキャリア管理職の女性が渋谷区神泉で殺害された。しかし、彼女は神泉では誰もが知っている立ちんぼの売春婦だった。

 とまどう落差、昼と夜のあまりに異なる位相。

 どうして?なぜ?日本中を「?」がかけめぐった。そして、いまはもう忘れられているのだろう。
 早いなあ。
 彼女ほど「まっさかさまに堕ちた人」はいないのに。

 東大出の父を持ち、自身は慶大経済出身の女性エコノミストを目指していた、と見事な履歴を持つ彼女の人生。

 話を急がせてもらおう。「下降するエクスタシー」について話をしてみたい。

 まず「下降するエクスタシー」の体感だ。高速で下るエレベーターに乗り合わせる。あるところで胃の下あたりがスーとする、あの感触だ。
 さて、ここから話が少し複雑になる。
 その時、仮にだが性交をしていて彼女の「時」が訪れたらどうなるのだろう。
 カラダは無重力に包まれ、男に貫かれた尻は無意識に動き出し、仮面のように覆っていた自意識は見事にハガレ宙に舞う。
「ア、ア、ア、ア、アーッ」
 「まっさかさまに」奈落というブラックボックスに引き込まれるような快感を覚えるにちがいない。まことに非礼だが劇画のように描写させてもらった。だが、ちょっとこれはすごそうだ。

 実際には「下降する」は意識の問題なので体感とは別次元の話しだ、など心理学者に言われそうだが、はは、そうでもないんだよ。ただしこの話し、説明するにはまだまだ長くなる。

 何にこだわればいいの
 愛の見えない時代の恋人たちね

 明菜の歌もまだまだ続く。  

というわけで、(この項続く)

      2

 Get up,Get up,Get up,
 burning heart〜

「さあ、目をさまして」
 耳もとでそんな声が聴こえても彼女は目をさまさなかったにちがいない。

 彼女がいつも駆け込むように飛び乗る井の頭線下り最終は、彼女を乗せずに走り出した。彼女が眠る空家の木造アパートのすぐ脇を通り過ぎて行った。踏み切りの音がやがて小さくなった。彼女は、空き部屋の畳みの上で全裸で死んでいたからだ。

『私の中を風が吹く』という小説を思い出した。(ケッセルの「昼顔」のプロットになった、と言われる小説だ)

 前方から冷気をたっぷり含んだ風が吹いてくる。カラダに触れそうになる。思わず身をすくめようとするのだが、驚くようなことが起きる。
 風は何の抵抗もなく「私」のカラダ中を通り抜けていく。空白を抱えるカラダ、すさまじいほどの虚無。カラダの真ん中を45口径どころか450口径ほどの風穴を抱えている。

 空白がつくりだすスカスカした人生は、もはや自分の生さえ希薄にしてしまっている。
 焦燥に追い立てられるのだが、虚無にとりつかれたカラダは箸1本をもつのさえ億劫になっている。
 そんなひどい虚無を彼女は抱えていたような気がする。
 ひどい虚無、ひどい鬱。
 鬱の存在は拒食症を発症していたことでも理解できる。箸1本どころか食事そのものさえ拒絶してしまう。
(さてここのところが理解してもらえるだろうか)

 巨大な虚無を抱えた人間は何をするのか。

 過激な上昇をしかける時もある。盛大な浪費をする女性などがそれに当たるのだろう。しかしモノは何も救いはしない。上昇をしかけた分だけ激しく大地に叩き付けられる。いわばリバウンドだ。

 では下降はどうなのか。落ち着ける本物の大地が足元に感じられるまで堕ちる。その中で、「下降するエクスタシー」がやってくる。

「彼女が、さあ、あの時にね、よろこびを感じたことなんてないと言っていたよ」
 常連客のひとりがそう証言している。ぼくはこの点に大いに疑いをもっている。殺害された夜、現場の階上に住む女子高生が鉄骨の階段を降りる際、部屋からの彼女の大きな「喘ぎ」を聴いている。

 彼女の人生最後の「声」になったのだが。

 夢はそうよ見る前に
 醒めてしまったら
 何にもならない〜

 うーん、長くなったね、明菜の歌歌をバックに、また次回。

     3

 夜の孤独な長さ
 スキャンダルさえ
 時代のエクスタシーよ〜

 女子高生は、彼女の「喘ぎ」を聴いていた。
 ラブホテルのベッドの上で放尿、脱糞をしでかすという破天荒な放埒もある。(反面、律儀に「おわび」をワープロ打ちし、とどけていた)
 外国人には、時にすさまじいほどの低料金で、性の仕事が行われていた。

 彼女に思いきり声を出させる「時」があったのだ。だが、下降する馴れがいつもそばに来ていて「もっと遠くに」下降する必要にせまられいたのではないだろうか。彼女が「喘ぐ」ための、非日常という「もっと遠く」の世界のために。

 江戸時代の武家の女性は、生涯を町内を一歩も出ることなく過ごすことが普通で、それに何の疑問も感じていなかった。と、司馬遼太郎氏は書いている。女性にとって日常こそが大地そのもので、どんどん日常から遠去っていく彼女の反日常を欲求する行動は大地離れするしかない彼女の特異な生理の存在を物語っている。

 現代の人間は「宙づり」になっている。これが、ぼくの仮説の芯になる。

 時代が求める性能をテコに生きる人々、学歴などはその際たるものかもしれない。何本ものロープによって「宙づり」になっている自己。それが現代を生きる人だ。ロープを切れば「まっさかさま」が待ち受けている。
 それに自分の「宙づり」はなんとも卑猥な姿に見えるのか。

 彼女は、慶応時代、東電と通じ人と絆(きずな)を結ぶことがとても下手な人だった。下手というよりできなかったのかな。
 夥しい虚無の果てにようやく見つけたのが性器と性器を結ぶ絆(きずな)。それだけが彼女が見つけだした手ごたえのあるもの。そのためには、どんどん「まっさかさま」に堕ちていくしかなかったのだ。

 さて、駆け足ながら、ぼくなりの答えは見えてきた。

 きっかけはいくつもあるだろう。最愛の父の死。仕事場での失望、これは仕事ではなく、人間的なものだったような気がする。「東電OL殺人事件」の著者、佐野氏は「憶測を書くのはノンフィクシヨンの正道ではない」と書き、あえて微かになだらかに記載している。ぼくもそれに習おう。

 彼女は「宙づり」になった社会の虚構から、あえて「まっさかさま」に堕ちることで真実をとどけようとした天使だったような気がする。
 かすかに微笑みながら、時代の底に堕ちてゆく彼女の顔がゆっくり遠去る。

 明菜は歌い予言する

 そうよ みんな 堕天使ね〜

 ちなみに事故の定義では転落は「2メートル以内の落下」、それ以上は「墜落」とされている。彼女は、俗に言う「女性の転落」ではなく、まさしく「墜落」だった。それも「まっさかさま」の。

      ○
 
 はじめにエレベータの話をしたが、もう一つ。
 ブランコを踏む、思い切り踏むと落ちてくる時にエレベータと同じ「下降するエクスタシー」が発生する。美しく言えば自由の体感なのだが、もしかすると女性の自慰はこれに近いものではないかと想像する。東電OLはこの感触を忘れることができなかったのではないか。
「だからと言って、売春をするか」
と言われれば、あまりの飛躍ゆえに返す言葉はないのだ。
 強いて言えばすでに売却された、立派な西永福の自宅にブランコが吊るされていたかどうかを知りたいと思う。

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