○2010年08月30日の日記再掲載
8月15日、終戦記念日の周辺になるとさまざまな戦争ドキュメンタリーが放送される。ぼくは毎年、できるだけ見るようにしているのだけれど、今年は「玉砕」という番組にこころ引かれたね。
「玉砕」、玉となって美しく砕け散ること。
よくもまあ、(こんな美しい)コピーを考え出すもんだ。そう、いまで言うキャッチコピーなんだよ。コピーというのは時に罪深いものだ。
1銭5厘の肉体が、小石どころか砂ボコリとなって宙に飛ぶ様子が目に浮かぶ。その時、肉体は光り輝いてなんていやしない。2本の足で駆けていたものが、進む力を失いドサッと地に倒れ込む。ただそれだけのことだ。
このコピーというか文案の起草者が誰か。大本営の中で起案されたものなのか。曖昧だがどうやらそうらしいことが番組から伝わる。海軍では俊英中の俊英、海大首席の富岡定俊が出ていたね。富岡少将がこの言葉作りにどうかかわっていたのかは定かではない。
(戦後、フイリピンからの逃亡将軍と指弾された富岡定俊を映像として登場させたのは、参謀は「玉砕」しないというアイロニイなのか、あるいは「玉砕」の作者なのか。ここではいまひとつ不明だ)。
けれど戦前の俊英というのは、このようなレトリックにほとんどの知恵を使い切っていたのではないか、そう思えるくらい見事な出来栄えだ。1銭5厘の肉体が光りを帯びた玉石の輝きとなって宙に舞うように見えてくる。でも実際は、銃弾を受け進む力を失いドサッと地に落ちる。ただそれだけのことだ。
はじめての玉砕、アッツ島ではまだ無かったらしいが、南方では米軍は基地の回りに拡声器(マイクロフォン)を配備し
「そろそろ日本軍が突撃してくるぞ」
とヘッドホンに耳を傾けながら待ち受けていたという。これでは奇襲にも何にもなるわけがなく、待ち受けた機関銃の掃射の前にさらされたというのが実情らしい。
「大東亜共栄圏」
「アジアはひとつ」
俊英たちのレトリックの見事さは山ほどある。どれも観念的でひとりよがりのところはあるが、国内的にはヒットコピーだった。その作成には多くの文案家が集められたらしいが、陸大海大の俊英たちによって自作されることが多かったらしい。
(「贅沢は敵だ」という文案が花森安治の作だというのは有名な話だ。戦後「贅沢は素敵だ」と言い直している)
コピーというのは並の者にはなかなか出来ない高度な知的作業であることは、ま、よく理解できる。あまり立派な確認ではないけどね。
山本七平は、「玉砕」という言葉の根底には日本人独特の「カタヅカナイと困る」という心理が働いていた看破している。
「お父さん、早く食事してくれないとお膳がカタヅカナイでしょ」
の「カタヅカナイ」とまったく同じ心理だという。
途中経過の状態で持続していて結論が出ていない。この状態にどうにもお尻がムズムズしてじっとしていられないだなあ、多くの日本人は。こころがさっぱりしないんだね。で、カタヅケられちゃった方は災難としか言い様がないよね。時には問答無用に、退場させられる。
戦陣訓の「生きて虜囚の⋯」の一文の呪縛があるにしても、ぼくには「カタヅカナイと困る」心理の存在には思わずはっとさせられたね。これは日本社会の進歩のあり方に関係あるからね。
輪廻のように巡る仏教農業社会の中では、進歩とは
「古いものはさっさとカタヅいて、新しいものが入れ代わる」
ことでしかなかったからね。
カタヅクというのはきちんと整理整頓することでもあるのだけれど、無くなっててしまえばつまりはこれほど整理整頓することはないわけだし。そうして次は、(まるで押し出すように)自然発生的に出てくる。
(これが「玉砕」というコピーのヒットの秘密だと言えるのかな)。
それにしても、カタヅク思想こんどは高齢者に向ってたりしないかな、ちがうかな。大丈夫かな。
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