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2024年06月27日04:38

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古澤憲剛という大馬鹿モノ。

 映画監督にはなにかと伝説が多いのだが、中でもひとつ図抜けているのは古澤憲剛なんだと思う。
 東宝の若手監督で、後に(60年代中頃に)無責任シリーズで大当たりをとる、というあたりで少し見えてきたでしょう。人情とか、古澤に言わせれば「小さいことに」かまっていられない性質(たち)で突然のありえない大ボケをかます。生きてる喜劇みたいな人なんだが本人は自分の評判をまるで知らない。その同じ人物が、
「私は、常にリアリズムを目指します」
と言い放つのだから、まわりは頭を抱えるよ。
「古澤先生のリアリズムとはなんだ」
「わからないなあ」と悩む人たちに
「ぼくらの知ってるリアリズムとは少し違うだけ」
と植木等は説明していたそうだ。

 オープンカーでの移動撮影の時だ。
「ヨーイッ、スタート」
 高らかに声を上げる。人の動きに合わせ、クルマがガックンと動き出す。ところが監督の古澤憲剛は、走り出しでゴロンと揺れた拍子にクルマから後ろに落っこっちゃった。もはやクルマには、
「ストーップ」
と声をかける監督はいない。というわけだからずーっとそのまま走っていく。
 クルマの後ろから片手を抱え、ビッコを引いたおっさんが追いかけて来る。
「なんなんだあの人は、ねぇ監督」
とチーフが横を向くと監督はいない。「アレェー」止め手のいないクルマは、止まるはずはない。

 キントト映画の監督と言えばわかるかな。
 かつて「シャボン玉ホリデー」というヒット・バラエティ番組があった。その中の大当りコントです。特大のニッカボッカを履いた、なべおさみが演じる映画監督が手にしたメガホンでやたらまわりを張り倒すし、ドなり散らすという設定なのだが、これが古澤憲剛そのままとされている。
「安田ーッ」
 メガホンでバカッ。
 無責任シリーズの映画監督なので目の前でおかしさはすっかり見ている、だからコントのネタに右から左にすぐそのまま使えるので便利だった(と青島幸雄は言っている)。

 徹夜明けでスタジオのスミでおっさんがうたた寝をしていた。そこへ助監督が、
「監督、そろそろ時間ですけど」
 遠慮しいしい声をかけると、
 まるでオモチャのように立ちあがった。大声で絶叫だ。
「本番、スタート」
 まわりには誰もいなかった。

 女子社員が昼休みの屋上で、輪になってバレーボールをやっている。
 そのまんまん中を「ヤァ」と気楽に突き抜けてくるのが、植木等が演じる新入社員の平均(たいらひとし)だ。
 輪のまん中まで来ると、バレーボールが飛んでくる。ほいと受け取るのだが、ボールにはほんの少し目をやるだけでなんとポイと屋上からを捨てちゃった。
「あらー」
と驚く女子社員のことなんて、お構いなし。
 振り返りもしない。
 このノンシャランとした演出が、無責任男の個性を決めた(といっていいのだろう)。
 この、やれそうでやれない演出は、神業演出といって良いのかもしれない。できて仕舞えば他愛もないだが、通常の日本人には、到底、無理な演出だ。つまり心底、無責任なのだ。よく言えばあかるいアナキーズム、もっと言葉を変えればアナキーなドタバタだ。

 無責任男の生みの親は誰だ、という議論が当時からある。
「そりゃあ、植木等だろう」
「植木屋はねぇ、バンド屋だから、バンド屋特有の軽さがあって、結果ぴったりハマった。だけどはじめは嫌がっていたんだよ」
 真言宗の住職をしていた親父に植木屋(植木等の愛称)が相談をして
「わかっちゃいるけどやめられないは、親鸞上人の教えと同じだ」
と諭(さと)されてはじまったというのは再三、語られていることだが、手取り足取り個性を造形したのは古澤憲剛で間違いないだろう。

 圧倒的に「こだわらない」というその個性。
 これまでの日本では考えられない、社会から大幅にはみ出した自由があふれているのだが、植木屋の軽さがバカでかい自由とおかしみを一体にさせ「愛されるアナキズム」を作り出している。と言っても、古澤憲剛にはどうでもいいことなのかなあ。

 パレンバン攻撃の落下傘部隊出身(実際は少し違う)ということで愛称は「パレさん」。この(実際は少し違う)というあたりがパレさんの「こける人生」のタッチなのだが、わかってもらえるには時間がいるんだろうね。その場その場では、味方ばっかりじゃないだろうし。
 日大芸術学部出身ですぐに「カラダを張る人」だったのでいつも怪我が絶えない。たびごとに撮影所のネタになっていた。
「パレさんが、またやってるよ」となる。

 まっ白い背広がトレードマーク、小松政夫を主人公にしたNHKの「ぼっけもの」の最終回でイッセー尾形が古澤憲剛を演っていた。まっ白い背広姿で帝国ホテル1階にあるメインのティールーム、そのど真ん中を悠然と横切っていくのだが、あまりに悠然で「小さいことは気にしない」気分がまともに出ていたなあ。
「あれ、古澤監督じゃない」
という声を左右に聴きながら
「あ、そう」
という様子で通り過ぎていく。行きすぎてカメラが見切れそうな、その先でイッセー尾形はズコッとコケていた。

 古澤憲剛と植木等、二人分の後ろ姿だった。それが、ラストシーンだった。
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