ぼくは、あの頃、話し言葉を探していた。あの頃というのは学校を出て10年以内でライターとしてはまだ駆け出し以下の素性の頃だった。
当時、文章というのは、文章語であって語り言葉とは少し違う、というのが共通認識だったのかな。だから硬いし、抽象語をたくさん使うので書き込めば書き込むほど文章語になっていく。それが、あの頃70年から80年にかけての普通だった。
たとえば小林秀雄は抽象語満載で、小林的な難解さが上等なものとされていて文章の進路をややこしくしていた。
その中で、話し言葉をを真っ先に使いはじめていた文章があった。歌謡曲とJ.D.サリンジャーだった。中でもサリンジャーは、『赤ずきんちゃん気をつけて』という庄司薫の小説が大きな賞をとり、サリンジャーの文体をなぞったと言われることで一気に人気になった。サリンジャーのマネをマネする、というのがこの辺からはじまるのですね。
「ぼくは…」ではじまる文体で、よく等身大の文章と言われていたよね。
源流にというようなわけで川を遡り、みんなサリンジャーをむさぼり読んだものさ。
「おい、どうしてる。インチキなやつに絡まれてるなら、さっさとこっちにおいでよ」
とかね、文の中から読者に声をかけるような文の調子をマネしたものさ。思い出すと少し恥ずかしい。
日常のほんの少しことの中から、人生の端っこのことをたんたんと話していく。
「今日は曇っていて、ぼくの人生もどんよりしている」
という話の進め方はよくやっていたなあ、というかよく練習したなあ。
そういう中で、サリンジャー調のヒットコピーが出るんですね。糸井さんのコピーです。
『逃げるんだ、ベイビー』
エリマキトカゲが砂漠を逃げていくシーンにハマるコピーなんだけど、この「逃げる」というマインドがぼくには「サリンジャーだなあ」と感心したものです。
糸井さんのコピーで、サリンジャー調とも言えるコピーは他にもたくさんあるんだけどハート掴みという点では、これがよくできていると思うのです。
ちなみに歌謡曲は、どんどん度を越して「話し言葉で非日常」という世界にまで飛び越えてゆき、途中、四畳半フォーク・私小説フォークに戻ったりするが、やがて言葉は音楽に置いていかれるようになっていきます。
「はい、アタクシのほうで後から合わせますからどうぞお先に」
となります。
取り止めのないことを書いています。
いま思えば、サリンジャーはインチキなことが嫌いで(誰でもそうか)、話し言葉を使うことで変なロジックや過ぎた修辞から逃れようと思っていたんじゃないか、と思うのです。妙な理屈を言ってケムに巻くやつとか、過剰な褒めたたえで戦争に送り出そうとするやつは、ずーとヒキも切りないわけだし。(あのー、ロシアのことです)。
いつだってどこだってインチキは横行するんだ。仕方のないことなんだよ、きっと。
で、まあライ麦畑の端で、落っこちそうになった人を
「ほらほら、危ない、危ない」
「よかった、大丈夫さ」
とか言って、落っこちそうな人のお尻のとこを手でささえたりしてね、事なきを得る。
そういう小説ではなかったのかと思う、だいぶ遅ればせのわたくしの意見です。
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