○2009年11月25日の日記再掲載
歌い出しは女性としては低い声だ。
大地に伝わるかすかな音のように響いている。
そうして高い声に転調する。すると、その高く伸ばした声は天に放った矢がやがて自分に向うように、彼女の胸を目指して飛んでくる。
さくっ、と矢は彼女の胸の中に深々と入り込む。思わずはっとするように顔をあげ、入り込んだ痛みに抗うようにカラダをそらせる。胸の下まで伸びている長いまっすぐで、それでいてやわらかなブロンドは、動きにつれふわっと大きく揺れる。
天井のピンスポットが金色の髪の揺れをとらえる。金色がこぼれ落ち、宙を舞う。ほんの、ほんの一瞬の死が訪れる。
「あ、どうして」
一瞬の間を置いて、髪に手をやる動き。オレンジの衣装が揺れる。
「あ、生きているんだ」と、ぼくは覚醒する。
1964年頃の産経ホールだった。マリー・トラヴァース、ピーター・ポール&マリーのこの女性ボーカリストの声は、中学生のぼくを支配した。
「ぼく、明日、死のうか、正義のために」
と言われればまちがいなくそうしただろう。
ぼくにとって、女性の声とは、歌とは、こういうものだった。こういうとは、ほんとのことを伝える声で、それでいていさぎよくて、自分を射すような声で、それはマリー・トラヴァースだった。
衣装はいつもオレンジやグリーンの単色で、V襟のワンピースをミニに仕立てたシンプルなものだった。そのシンプルさもいさぎよさを感じさせていた。
ソロパートを歌うことはそう多くなく、ハーモニーのパート(ハイパート)を受け持つことが多かった。(だからほとんどの人にはメロディとは少しちがう歌いかたの声しかとどいていなかっただろう)けれどぼくにはいつもマリーの声がメインに聴こえていた。
低い声はサビで一気に転調して、主旋律に比べやや上ずるように聴こえるハイパートの旋律を歌う。上ずったままいつかどこか遠くに行ってしまいそうなマリーの声。
いま、ぼくはこう思っている。
愛する人の声が遠ざかる時、男は思わず後を追うのだ。本能のようにね。ましてそれが低い母の声ならなおさらだ。小さな子は皆そうしている。
「さあ、この答えでどうだい」
「……………………………」
もちろんマリーは、もう答えることはできない。(亡くなったのだからね)
あれ、でも、かすかに聴こえてきた。そーか、そーか、やっぱりそーか。答えは聴きなれたものだった。
「友よ、答えは風の中にある」という歌声だった。
○
もうこの歌い手のことを話す人はこの世にいなくなるだろう。つまり(PPMとはいえ)芸能とはそういうものだ。はかなくて、はかないから引き止めるようにこころが動くのだ。ボブ・ディランはノーベル文学賞をとった。ボブ・ディランを広く認識させたのは、PPMでそれもマリー・トラヴァースの力は一番大きかっただろう。ぼくは、そう思う。
映像の世紀でピーター・ヤローがボブ・ディランの当時を語っていたが、マリーの大仕事について一言話して欲しかったと思った。
ログインしてコメントを確認・投稿する