○2010年04月5日の日記再掲載
12歳の少年を前に乃木希典は一冊の本をかかげ、涙ながらに講述している。
やがて希典の講述は終わった、このとき12歳の皇儲(こうちょ)の少年は、不審げに首をかしげた。
「院長閣下は」
「あなたは、どこかへ、行ってしまうのですか」
「いいえ」
「乃木はどこにも参りませぬ。ただ英国のコンノート殿下の接伴員をおおせつけられていますので、このところしばらくのあいだ…」
院長閣下とは学習院院長、乃木希典、皇儲の少年とは裕仁親王(後の昭和天皇)。
乃木希典は明治天皇の大喪の前日、自ら書写した「中朝事実」を裕仁親王に手渡し、半顔を涙に流しながら進講し、その翌日、大喪の日、殉死した。
ぼくは、この数行を読むと涙が溢れてくる。とめどなく溢れてくる。自分でも不思議でしょうがない。
ぼくは、右翼でもないし、乃木マニアでもない、けれどここだけは泣けてくるのだ。
前々回かなストイシズムの話しをしたのだが、ストイックとなると乃木希典なのだろう。
だがくり返すが、ぼくは、右翼でもないし、乃木マニアでもない。それどころか『坂の上の雲』の中で、少佐任官を前に、乃木が横浜で特製の軍服を誂えたという記述に出会った時、怒りさえおぼえた。
「やはりこの男はだめだな。無能の将軍なのだ」
と判断していた。
乃木が指向している(とぼくが考えている)見てくれ優先、様式優先のストイシズムがいかにくだらないものかは、また後日、話そう。それより、ぼくはなぜ泣くのか、ぼくの中に隠れた右翼性でもあるのかを考えてみた。
人生の無常さを教えるシーンだからだ、これが答えだった。
軍という組織からは慇懃なかたちで疎外され、院長である学習院からは排斥されそうな乃木希典という老人がいる。遺言にも当たる人生最後の意思表示に立ち会うのは、皇孫とはいえ12歳の少年。12歳は立姿し、乃木の言葉に聞き入る。
人生の最後に、自分の人生をかけた言葉を話そうと思った時、どこにも聞き手がいない。乃木希典の場合、12歳の少年がいた。しかし、12歳の少年が漢文まじりの内容をすぐ理解できるとは思えない。思えないのだが、話し続ける。
「文字に明るくおなりあそばしたら、必ずお読みください」
と諭(さと)しながら話し続ける。
これと同じ情景を思い出してみる。
「無法松の一生」のラストシーン、
日向で眠る阪妻の顔に吉岡の坊ちゃんの顔がかぶる。
「生きる」のブランコのシーン、
息子の野球を応援した日を思い出す志村喬。
乃木には少年がいたが、上のふたりにはもはや過去の少年しかいない。
少年と老人、もはや実社会では自分の思いが不連続であることを諦観させられた老人と、その前の少年。少年に話しかけながら、あきらめは淡い星屑のように飛散し、気を失うように話し込み、そして残り少ない生気は星屑と共に消えて行く。
まあ、こういうことなのだろう。老人たちは、人生に弁明しない。
「ラスト・ショー」では老人サム・ザ・ライオンは
「メキヒコで遊んでこい」と小遣いを渡し消えてゆく。
ストイシズムは美しいが、無常の風にさらされると、泣けてくる。
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