藤圭子の名唱について書いています。1曲目は「乱れ髪」、続いてその2曲目です。
「乱れ髪」を歌った翌々年、1997年に、 藤圭子の人生にひとつ区切りをつけるような依頼がありました。
それは突然、圭子の人生の灯台にポーッと火を灯すような依頼でした。NHKからの番組出演依頼です。
藤圭子の人生にとってNHKは計り知れない大きな意味を持っています。ラジオもテレビも定かでない旭川暮らし、雪深い岩見沢での歌手はじめ。徒歩で生きてきた懸命に歌う少女、藤圭子にとってNHKだけが開かれた世界への道筋であり、明るい世界への灯りであったのです。
演歌の言葉を使えば「灯り目指して生きていく」人生の灯台だったのです。それが、紅白落選という憂き目に2度もあった。
「いつか紅白を見返してやる」
「出演依頼が来たら、今度はあたしの方から断ってやるんだ」
といささか不穏当な言葉が出たのは22年前、悔しくて悲しくて(あえて言って仕舞えば)こころに変調をきたしたほどの辛い出来事だった。
その灯台が不意に火を灯もしてくれた。
それは「ふたりのビッグショー」という番組への出演依頼だった。八代亜紀とふたりだけの歌番組をNHKで放送しようというのだ。
「あーこの喜びは、当の本人しかわかるはずのない」ものなのだろう。雪の北海道を出て、走馬灯のように揺れる日々。いろいろな説明が可能だが、やはりこころの中の「灯台に火が灯った」というのが言えている気がする。藤圭子という船が、ちょうど人生の帰り道にさしかかった頃、ポーと点いた灯り。
「あたしは今ここにいる」
灯台の方を向いてお辞儀をする。
「さあ、消さないで」
藤圭子はお願いをしながらその日を待った。
この番組の中で、新曲として紹介し歌ったのが「天国」という、もうひとつの名唱だった。
「天国」は想像もつかないやさしさに満ちた歌い方ではじまり、なんの技巧も感じさせずただ素直に歌うことに徹っしている歌。
歌う前に両手を大きく広げた姿は、あの北原白秋の白鳥(しらとり)のような孤独な清廉さを感じさせる。歌いだす、
「この胸の悲しみを、もしも取り出せるなら〜」
悲しみというのは清潔なものなのだ。47歳は、まっさらなこころで歌っている。昨日はじめて人生をはじめたような47歳を、ぼくは見ることになる。
「あの人のこと、いつまでも、忘れはしない〜」
この世の中のたったひとりしか持ち得ない清潔な願いを歌い続ける。やがてサビになる、
「生きていく中で、たった一つの、お守りだったのに〜」
藤圭子は、この時はじめて「人からもらった歌」ではない、自分の一部を歌っている感覚を覚えたのではないか。その「お守り」は母親のことだという人は多い。しかし、母親とは疎遠のままだ。だが藤圭子にとって「お守り」になれるのは母親しかいない。
人は皆、子を持ち家を持つと、こころの中で半分くらい親を失う。藤圭子は、(少し変わった家族生活のせいで)母親とは疎遠になっている。
そうか、そうなのか、白鳥(しらとり)はもう子供に還ることはできないのか。「天国」でしか会えないのか。もしかしたら、はじめのフリはそういうことだったのか。と、ぼくは勝手に感じてしまう。
藤圭子の歌に清潔さを持ちだして違和感を感じる人はいるのだと思う。怨歌と呼ばれた流行歌(はやりうた)には、ある種のワイザツさが取り込まれていると思うのは必然というものだ。だとしたら、これはもう怨歌ではないのかも知れない。
清潔な空気の中に放たれた願い。それは光の粒子のように、真白いホリゾントの中で、ライトに揺れキラキラと舞っている。何もない素晴らしさをプロの歌で聴くことは、そうはないだろう。生来の無防備な藤圭子は、ステージの上でも無防備になり素裸で歌う歌手として立っている。
静謐と知性。藤圭子が行き着いたのは、あの日から気の遠くなるような知性の歌だったとぼくは気づいた。
頬に紅をさしている、その頬をかすかに上気させた藤圭子は自分の歌が成功したことを確信したように微笑みながら、ステージを八代亜紀に受け渡す。
ぼくは、五木寛之の予言を超えたのではないか、と思った。ただ歌は超えたのだが、あの時代の、70年代の興奮と沈静はどうなったのだろうか。藤圭子の歌の中にどう影響を与えていったのか、考えてみようと思う。そのために興奮と沈静という言葉を少し早めに使ってみた。
藤圭子という船が、ちょうど人生の帰り道にさしかかった頃だからだ。
ログインしてコメントを確認・投稿する