○2008年07月27日の日記再掲載
いまから15年前の文章です。この時点よりさらに20年前、都合35年前の「タケちゃんマン」のことを思い出しながら書いた文章です。内容は笑いの破壊力。お笑いに何が必要か、よく伝わる文章だと思います。どうしてなぜこの文章を引き出したかと言えば、お分かりのように松本人志に申したいわけだ。
この文のコメント欄に、この頃から破壊力を失い、横並び企画に成っているTVのお笑いに注文をつけています。そして、
「わずかに異端は松本のイジメ笑いですか」
とはっきり書いているのだが。イジメ笑い以上のものにはならなかったようですね。もし違っていたら「べんごし」に聞いてください。
○
CXの27時間テレビで、たけしとさんまが、あの「タケちゃんマン7」の扮装で、出てきた。
えがった、ごっつうえがった。
たけしはじめみんな年を食っていたけど、ガキどもにいろいろ勉強させていたね。アダモちゃんも出てきたし。相変わらずアドリブが利かず、ウロウロの島崎で笑えたね。曲師のおばちゃんは出ていなかったけど。おばちゃん、どうしているのかなあ。
担当ディレクターが定年だからと半分だまされてシブシブやったらしいのだけど、あの20年前のお笑いといまのお笑いとの差がよくでていた。
そいつは「アナーキー」と「計算づく」の差。
もちろんテレビだから「所詮、すべてが計算」と言ってしまえばそれまでなんだけど、演じる人間たちの根底にあるものの違いが大有りだということがよく出ていたよ。
なにしろ、たけしが動くと破壊力でてくるものね。テレビ局とか、テレビコードとかを破壊したい、はみだしたい願望がありあり見えるものね。
じゃあ若い芸人はと言えば、言わば“現世利益”人間だね。
有名だったり、お金が入ったりすればそれでよい。それ以上の夢が描けないんだよね。だからノビがピタリと止まるんだね。動機なしには進歩しないものね。
あーあ、やんなっちゃうな。あーあ、あーあー、驚いた、と。
お笑いの持っている、いちばん大事な役目が何か、それをつかむ想像力ないし知恵にやや欠けているということなのかな。
「権威とか常識のぶち壊しなんだぞ」
と誰か教えてやらないと。こいつをたけちゃんなんかは本能的に知っているよね。わずかホリケンだけが予定調和を壊したがってアレコレするのだけど、ホリケンはアドリブ(脳の踊りみたいなヒラメキ)、からっきしだしね。
かわいそうになっちゃうよ。
で、さんまなど先輩たちと若い芸人が話しているのを聞いていると
「大御所が、大御所が」ときたもんだ。
「バカヤロー、お笑いに大御所があるか」
すべてが一代芸、瞬間芸といってもよいくらい。だから、お笑いに家元はいらないんだ。よって、
「お笑いは永遠にフリーな身の上なんだ。板の上の家なき子なんだ」(うむこの一行、われながらいいなあ。自分にあこがれる)
でね、あんまり理屈を言ってもしょうがないので、(理屈を言ってわかるやつはお笑い向きじゃないわけだし)すぐわかる簡単な答えを言っちゃおう。
「クチでごまかそうとするな」
この一言でございます。
「それ、小学校で言われたことある」
そう、あれと同じです。
若い芸人のほとんどは客席が引いてくると、なんとかヨタで逃げようとする。
見苦しいぞえ。もっとカラダを使ってジタバタせんかい。
カラダを張る。その瞬間に“ご新規ネタ”が生まれるんだ。お笑いの原則、言わば動きによるお笑いの自家発電だ。
(自家発電と言えば、昔、「セックス発電」というポルノがあったが、このタイトルは史上最高のタイトルだったね、と本文に戻ります)
テレビのせいもあるのか。カラダを使うとすぐ子供向けタレントの部にいれられちゃうからね。小島よしお、藤崎マーケットとかね。
えーい、そんなテレビ局の思惑は超えていけ。そういう時は、やっちゃいけないことをやっちゃうに限るんだ。本気でぶっちゃうとか。番組でも紹介していたが、鶴瓶のポロリ事件などはまさしく理想の世界だ。
浅草ではみんなずーっとそうしてきた。あ、たけちゃんは浅草育ちか。師匠がいいんだね。深見千三郎、踊るコントの名人だったよ。
「タケ、おぼえておけ。笑われるんじゃねぇぞ、笑わせるんだ」
「何様だって。芸人だぞ、バカヤロー」
以上です。
(最後の2行は「浅草キッド」より転載)
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