○2008年08月14日の日記再掲載
「目つながり警官」はどうして目がつながったのか。
それは「変身」したのだ。
赤塚は漫画上にフランツ・カフカを再現したのだ、と昔ぼくは思ったのですよ。
これはね社会とか、時代とか、一人歩きしはじめると「どうにも止まらない」嘆きを生む。こいつに対抗するには発砲するしかない、と言う答えの出し方をしたんだよね、赤塚は。たけしも同じことでね、ついでに言えば映画「タクシー・ドライバー」もおんなじだよ。実際に発砲すると言うのではないけれど、いたたまれない気持ち。バビュン、バビュン。と言うこころを人は持つのです。
○
たけし映画の暴力とまったく同じ種類の暴力を見つけたよ。
そいつは赤塚の「目つながり警官」でした。
バビュン、バビュン、バビュン、バビュン。
「わしは、許さないのだ、撃つのだ」
バビュン、バビュン、バビュン、バビュン。
めったやたらに発砲するのだけど、単なるピストル狂ではないことはみんな感じていましたよね。赤塚のことだから、理屈を言わないのだけど
「うーむ、これは深い。深いはずだ」と思っていたわけ。
NHKの赤塚ドキュメントを見ていたら、突然、感じました。
「これ、たけしの暴力」と同じだとね。
自分を変型させたもの、(漫画だから目に見えるとこにあるわけで)警官の場合はあの目だよね。そうしてあのおもしろハイテンションのこころ。
「わしをこんなにしちゃったのは、どこの誰なんだ。もしかしたら自分かもしれない」
バビュン、バビュン、バビュン、バビュン。
複雑怪奇な現代に発砲するんだ。それも嘆き節じゃなくて独特のハイテンションで。そうしてどこかで命中していることなんてまるで期待していないように見える。ところがこころの奥底では、とても期待していてね。
それが表情にでている、というのはぼくの推測。
けれど永遠に答えは出ないので、またも発砲し続けるのだ。
ま、かんたんに言えば現代という虚構への発砲なんだね。人はみんな自分で生きている、そう思っている。けれど踊らされているんじゃないか。だって、だって目の前の現実は虚構なんだから。
バビュン、バビュン、バビュン、バビュン。
虚構に空気穴を開けたいんだ。
「そうすりゃ、本当の時代も見えてくる」
「そうすりゃ、本当の自分の顔も見えてくる」
(ところで「目つながり警官」は本物の警官ではないらしい。あの交番は私設で「目つながり」は趣味で警官をやっているらしいのだが、どうもそのへんは不評だったらしく少しウヤムヤにしている。または、クレームよけかな)
「目つながり警官」は、たけし映画より早いわけだから、たけしが似ているのか。となると赤塚不二夫さまは、タモリだけでなく、たけし映画の生みの親かもしれないね。
バカボンだけじゃなくて、広く「世のバカボンたち」のパパでもあるのだ。
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