○2009年04月30日の日記再掲載
その二人のやさしさは素直で、普通で、(ああ、こんな気持ちのいいやさしさに触れることができたら、人は気持ちよく死ねるだろうな)、老人が出ている番組でいささか不穏当な表現かもしれないが、でもほんとに、ほんとに、あまりのやさしさにそう思えてしまったのだ。
NHKの「にっぽん紀行」、93歳と89歳の漁師夫婦の生活を捉えたドキュメンタリーを見た。それはもう小津の「東京物語」そのままを見たような感動だったよ。
二人は、小さな舟で鰹漁に出る。でも、トカヤク(シイラのこと)しか釣れない。
「トカヤクは鰹と一緒に暮らしとるんよ」
それでもやっと鰹がかかった。2本いっぺんにかかった。でも寸前のところで、口からばれてしまう。
その日は、数本のトカヤクだけで港に戻る。
「沖に出るっちゅう、気概だけでも大したもんですよ。まねできません」
浜でひとまわり下の漁師(と言ってもどう見ても70代なのだが)がやさしそうに老漁師のことを語っている。
大きな船でたくさんの漁師の差配をしていたのだという。70歳になってから、小さな舟でたったひとりの漁をはじめた。
「その船は買ったんですか」
「おー、そうやったかなぁ」
それからもう20年以上もたっている。
「船から降りたら、1年もたたんうちに、亡くなったりするとですよ」
「わしを長生きさせたかったら、漁師を続けさせっと」
93歳の老漁師は話す。
89歳の老妻はただ黙っている。
次の日、片道3時間をかけていつもよりずっと遠い沖合いに出てみる。海の色はすっかり群青になり、波はうねっている。
89歳は、ついこの間まで船に乗ることはなかったのだ。でも93歳が死ぬまで漁師をやめないことを承知すると、「それじゃあ」と一緒に船に乗るようになった。それでもまだ1年ほどしかたっていない。
実のところ89歳は、船に乗り移ることさえおぼつかない足取りだ。けれども乗る。
「漁をしてて、船から落ちるかもしれん。でも、なにかあった時、見取ってやらにゃあならんですから」
「そん時、わしにゃあ、なにもできんですけどね」
「あん人が船から落ちたら、わしも共に身を投げるかもしれませんのぉ」
船べりより低くなった船室の中で、まるで「おはよう」とあいさつをするように、89歳は普通に話す。
嘘のない言葉というのは、力みもなければ、テレもない。「おはようございます、共に身を投げますよ」と言われてどう言い返していいものか、若いものには無理だ。少しだけやり過ごす。
93歳を確かめるように、船室から船先(さき)の方にふっと振り返る。93歳は遠く海を見つめている。あっとぼくは気が付いた。89歳は眼鏡をかけていた。眼鏡をかけて、じっと見守るように93歳を見つめていた。眼鏡をかけていたのは、この時だけだった。
つまり本気なのだ。本気で見守っているんだ。
「あっしのお父さんが、海に落ちたかどうか確かねばならない」
だからメガネをかけている。
数時間後、やっと今年初の鰹が一本釣れた。老夫婦は少し、少しだけニッコリした。今年初の鰹は、二人が今年も生きているという手応えそのものなんだろう。ぼくはもうグショグショだった。なにがだよって、いや、もう泣けてくるのさ。
港に上がると、二人をポツネンと立てかけられた3輪自転車が待っている。89歳の3輪自転車の荷台に93歳が座ると、家に帰って行く。ごくわずかな坂をいなすように右に左に蛇行しながら走って行く。
右にゆれ、左にゆれ、ゆっくり、ゆっくり走っていく。手前を猫が横切る、二人より大分、早い。
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