藤圭子は出産から、わずか5ヶ月後、一時帰国(住まいはニューヨーク)します。1月に子供が生まれて半年足らずの6月です。すぐさま空港でヒカルを抱いた姿を記者が追いかけます。
「藤さん、お子さん可愛いですか」
「あたしねぇ、子供って欲しいって思ったことなかったの」
「いまはいかがですか」
「可愛いわね、ほら、可愛いでしょ」
はじめて宇多田ヒカルがアップになった瞬間です。藤圭子のハスキーな声は「可愛いでしょ」という言葉にあまり似合わないし、抱いてる姿に「大丈夫か」と声が出そうになるが、でも、ほら、赤ちゃんを少し掲げます。少し大人びた顔をした可愛い赤ちゃんがいました。
一時帰国の目的は、前事務所「ニュージャパンプロダクション」の藤原成郷氏との裁判で、東京地方裁判所に出廷するため。出廷をおえるとすぐにニューヨークに立ち帰り、今度は10月には本格帰国するために戻ってきます。
母親が住んでいた残りもうひとつの広尾のマンションで親子4人の同居をはじめますが、ノッケから宇多田からの不穏な声が出ます。
「金をくれ。ないんだったら、マンションを売って手配してくれ」と宇多田が迫ったようです。
もちろん母親の澄子さんは断りますが
「マンションだって圭子が稼いだ金で買ったんだろ!」
と怒鳴り、口論にまで発展したそうです。仕方なく母親は
「マンションを売却して、3,000万円ほどの金を照實氏に渡すことになった」と言います。
圭子さんの実兄、藤三郎の話です。
旭川で畳もない裸電球ひとつの部屋に住み、日暮里では親子5人、6畳一間で暮らした兄、三郎。
目の前で家族の家が売り払われていく様子は切なかったろう。身を切る思いのはずだ。しかし、妹は止めないようだ。大きな体の宇多田は威圧するように、小さな三郎の前に立ち塞がっていたのか。
家族は崩壊していく。それはひょんなきっかけからはじまるものだ。藤圭子が不夜城のように働いた六本木の家作がこれですべてなくなる。
「家がなくなれば、家族の場はなくなっていくよ」
「そうじゃなくてさ、ひょんな異分子がひとつ入り込んで崩壊していくのさ」
ここで藤圭子の言葉が欲しい。けれどどこにも記録はない。
「純ちゃんはねぇ、自分のものとなると2,000円のものでも宇多田さんにお願いしてたわ。全部自分で稼いだお金なのにね」
伯母の竹山幸子さんの慨嘆の声がもれ
「藤圭子はゾッ懇ということなんですかね」
というスポニチの圭子番記者の感想があるくらいだ。
母親は綾瀬のマンションに移り、圭子の付け人だったM子さんと暮らすことになります。M子さんはずっと圭子の付け人だった人でレズビアンとさえ噂された人なのだが、ヒカルの子育てで大きな力になります。
藤圭子一家は杉並のマンションに移り、そこで宇多田は歌の仕事の基盤をなくしていた圭子のために個人事務所(テックス)を設立し、自分が社長になり圭子さんと二人三脚で営業をはじめます。この家が、後の有限会社ユースリー・ミュージックの事務所兼自宅になります。
(「自分が社長になり」という箇所に先々膨張していく誤りの発端があるのですが、この時は誰も気づかない。そういうものだ)
ここで地方営業を受けて食いつないできたというのが掛け値のない実情なのだが、行く先々で宇多田の口出しがまたまた悶着を生みます。
「もうこれ以上世間を狭くすればとても生活は成り立たない」
と圭子は1回目の離婚をします。まわりにしてみれば
「よくぞ、やってくれました」
と快哉したのだが、これがわずか17日後には
「ヒカルの幸せのために」
と再婚してしまう。なんということだ。
運命の輪は回りきらなかった。カラカラッと元の位置に戻ってしまった。どうしてなのか。
「道」のようにミニは行く。この説明が適切なのだろう。
それはフェリーニの映画「道」のような旅だった。親子三人でミニに乗り、地方営業に回って行く。たいしたお金もなく、ミニは走り、風景は流れていく。けれど貧しい親子三人はロードムービーの主人公のように絆(きずな)を疑うことはない。大男のザンパノはいくらか粗暴だが、
「悪ささえしなければ、結構可愛げもあるし」
と思えないこともない。
子供の時、旅興行で炎天の新潟を親子三人で歩いた。二駅の鉄道代を浮かすためだ。足で歩くロードムービー。キーンと冷たい水、冷えたスイカ。あの帰って来ないシーンが戻ってきた。
「父ちゃん、ごめんよ」
「純子は、ほんとは三人でいたかっんだよ」
もしかしてだけど、声を出さずに泣いていたのかもしれない。圭子は、ミニで行く親子三人の「道」をとうてい外すことができなかったのだ。
かつての榎本ディレクターは
「本当ですか、あんなに二流の地方周りを嫌っていたのに」
と驚くのだが、ミニで走るロードムービーのことは耳に入っていなかったし、想像がつかなかったのかもしれない。
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