◯2007年1月15日の日記再掲載
「ゴジラ」の第1作は1954年(昭和29)に東宝で製作されました。
監督は本田猪四郎、黒沢の盟友とされていて後年は黒澤映画の演出補佐を務めています。
特撮監督は円谷英二、日本が生んだ特撮の神様ですね。3年後の「明治天皇と日露大戦争」と合わせ、日本の特撮技術が世界中で注目されることになりました。
「ズンズンズン……」と地に響くあの登場音楽は巨匠、伊福部昭で第1作から採用されています。
ホリゾントに映る東宝名物、島津さんの「雲の書き割り」も知る人ぞ知る映画史を飾るものです。
この文章は2007年に書いたものです。「シンゴジラ」のずっと前、第1作の感触を伝えるギリギリのところだと思います。なにがギリギリか、それはゴジラのテーマが「原爆反対」ということです。この熱意が、いまも残る「ゴジラ」を生み出しているのですよ。
◯
かつて日本人はマジメだったなあ。と、まあ、ほとほと感心したのがゴジラ第一作を見ての感想です。
正月休み明け、ミク友の怪獣使いさんが、お年玉プレゼントだとゴジラ第一作のDVDをとどけてくれました。
「じゃあ、まあ、見せていただこうか」
と、はじめてのゴジラ体験となったのだけれど、見はじめてすぐにグイグイと画面に引き寄せられました。でね、それはゴジラの魅力がどうのこうのというよりまわりのマジメさというか熱心さの力なんですね。
でてくる役者、でてくる役者、どれも真剣な演技だし、脇どころか(新聞社に押しかけてくる)ガヤの人たちまでも熱心で、その熱が「見せる一本」に仕上げているのですね。
第一作のゴジラは主役というより、テーマの実体としてあるだけで、主役としてはまだ未知数なわけで、それだけに画面に登場する時はおそるおそるという出方、出し方なのですね。
それを支えているのが、つまり、マジメで熱心なたくさんの日本人たちです。
「海を荒らし尽すと、ゴジラがいまに海から上がってくるぞ」と島の古老。
「海の深いところには、まだまだ、人の知らない生き物が生息している可能性が多々あります」と発言する学者。
「大戸島には親戚がいるんだ、なんとかしろー」新聞社に押しかけ、騒ぎまくる集団。これはまさにガヤなんですが、そのそのひとりひとりが迫真の演技なんですね。ドアを蹴破ろうという勢いがすっかりでています。(大戸島とはゴジラが出没する孤島のこと)
広島の平和祈年祭のシーンにカットが変わると、真剣に平和を祈る歌を歌う女子高生たちの顔がアップ。
こうした積み重ねの熱が、ゴジラ第一作のインパクトをつくっていると思うわけで、特撮の力よりはまずこちらを感じましたね。
特撮の力は、3年後(57年作)の「明治天皇と日露大戦争」の海戦シーンが当時のものとしてはまず思い出されるわけで、そう感動はしなかったですね。特撮は、日進月歩していく技術なわけでリアルタイムでないと迂闊には話せないのですが、2007年の現在、初見してみると二つで世界を驚かせたんだなあ、これも人力の結集だとすぐにわかります。
「ズンズンズン……」と地に響く巨匠、伊福部昭制作のあの登場音楽は、やはりよくできてるなあ。
えーと、ゴジラのバックに東宝名物の(島津さんという方の作かな)雲の書き割りがでていまして、これは懐かしいものでしたね。(実は映画史に残る雲で、ぜひ見て欲しいものです)
というわけで、“原水爆反対”というテーマ性の高さとそれを支えるたくさんの人、ということがゴジラ第一作の骨子ですかね。
で、まあ、つくずく思うのは日本という国は、無数のマジメな人々の力によってつくられているのだ。ということがまたまた実感されるのですね。1954年、まだ戦争が終わって9年しかたっていないこの時期にさえはっきり見えるわけですから。
つまりは、ゴジラは名もなき民の力の結集と呼べるのかもしれませんね。
「島の人々を苦しめた悪役ではないか」
という意見もストリー的にはあろうかとは思います。が、当時の「原水爆反対」という多くの人のこころを反映させた巨大なカタマリとしての怪獣ゴジラ、というつかまえ方に大きな意味を感じますね。ゴジラは「原水爆反対」の共同幻想。そういえばゴジラの顔を悪役そのものにしていないし。監督、本田猪四郎の意図もそうだったんじゃないかな。うーん、そうだなあ。
と、総論としては思うのです。
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無数のマジメな人々の代表として
本田猪四郎の墓石の碑文を紹介しておきます。
「本多は誠に善良で誠実で温厚な人柄でした
映画のために力いっぱいに働き
十分に生きて本多らしく
静かに一生を終えました 平成五年二月二十八日 黒澤明」。
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