五木寛之は、怨歌の命名とともに、本人も言ういささか不吉な予言もしていた。
「この歌い手が、こういった歌を歌えるのは、たった今この数か月ではないか、という不吉な予感があった。これは下層からはいあがって人間の、凝縮した怨念が、一挙に燃焼した一瞬の閃光であって、芸としてくり返し再生産しうるものではないからだ」
なんとも切ない予言としか言いようがない。この予言に沿えば、かりに藤圭子が成功したとしても、それこそルサンチマンが放つ暗く鋭い輝きの本体を失い、日常の中に埋没する退屈な歌手になる、というのだ。
では、どうしたらいいのか。ひとつは鏡の前に立ったら一瞬の過去をとりもどし、「成りすます」のだ。芸というもののありようを考えれば、特に悪いことではない。本来、芸とはそういうものかもしれない。だがしかし
「えー、あたしが、成りすますって」
間違いなく、この通りの口調で答えるでしょう。そう、藤圭子に「成りすまし」などできるわけがない。
楽屋の鏡の前でポツンと
「先生に叱られるから、きょうも不幸にしていないと」
と藤圭子が言っていたという、よく知られた中山千夏の文章はあるが、ストーリーとしては面白いが藤圭子という人物をはめ込んでみれば、これはどうにもフイクションでしかない。
なにがどうあれ正義を失うことは、貧しさやそこから生まれたありあまるルサンチマンを止めどなくあふれさせ、藤圭子という人物を瓦解させてしまうことになるのだ。
だからこそ、いつも「純子の言うことは、1ミリの嘘もないです」と同級生は言うのです。
五木寛之の言う「怨歌」という言葉を彼方に飛ばすほどの歌の世界を作り出すこと。藤圭子を失わないためのこれが一番良い方法だろうし、それを目指すいちばんふさわしい時期だったと言えるかもしれない。
ノドを直し、新しい歌い方を探り、それに合わせ新曲が生まれる。心機一転の時期になっていた。そこで、ルサンチマンから抜け出す白鳥、を描くのです。
現実の歌謡曲の世界の日程に沿って目標を掲げれば、紅白に復帰するという大テーマがあり新曲「命火」がリリースされ、そこを目がけ何もかもが進行していた。
「命火」は、演歌の王道の私小説的世界の歌で、まちがいなく素晴らしい仕上がりなのだが、唯一、欠点はあった。
それは、観念的だったこと。日常に密着していないので、どうしてもジワジワ売れるタイプの曲になってしまう。軽やかなヒットとはなりにくいのだ。それに歌舞伎町の取材から生まれているせいなのかもしれないが、悲しさのコラージュになっていて、連なるストーリーをうまく描けないのだ。
命がけで歌う演歌が、新しい演歌の世界の誕生に繋がるのか。
自信はあるのだが、どこか不安もある、9月はそういう季節だった。
懇意のスポニチからは毎日のように直前情報が飛び込んでくる。
「売れ行き、伸びています」
「NHK、いけそうなようですよ」
紅白の出演者発表が近づくにつれ「ほぼ大丈夫」の流れが続いていたのだが、知らぬところで足を引っ張る話もでていた。
ここでシリーズ��に戻るのだが、圭子は紅白に落ちた。
運命は一直線にやってきて、真っ直ぐ藤圭子に行き当った。脱線し倒れ込んだ運命は、警笛を大きく鳴らし続けた。圭子は、一週間も寝込んでしまった。仕事はキャンセルし、一部では
「藤圭子、紅白に落選し失踪」
というニュースさえ流れている。
シリーズ��でとても耐えられないほどの大失恋と、ぼくは書いた。(ここで警笛という言葉を使ったのは、「病歴がはじまるとしたら、この時が発症では」という評がでてくるからで)あまり触れたくないが、事故かもしれないことのひとつの記録です。
いちばんの理由ではないでしょうが、父親が家を離れることになり(それが圭子の判断によるもの)とバッシングを受けていて、それもNHKが圭子をよしとしなかった理由とされています。
藤圭子の目指す次の歌の世界は、中途半端で終わってしまった。ぼくが「命がけ演歌」と名付けた演歌、それは半分成功し、半分、曖昧になってしまった。あーやっぱり、エコ贔屓はよくないね。辛いけど、世間の言葉を使おうか。
ここでは、成功はしなかったし、とうてい白鳥にはなれなかった。
◯
デビューしてすぐ、藤圭子がはじめてテレビに出たときのこと。
「明日、終わったら、おかみさん、うかがいます」
東京タワーでの昼番組なので、3時前には日暮里の海老名香葉子さんの家に着く。
走るようにやってきた純ちゃんを、
「あーよかった、よかった」
と抱きしめると、香葉子さんはすぐにビデオを見せます。
純ちゃんは、なんどもなんども自分の姿を見ています。マイクの持ち方、歌い方、顔の向き、ひとつひとつを見直します。だけれど暗くなってきて夕方7時を過ぎても、純ちゃんはまだビデオを見ています。
「純ちゃん、お母さんに報告しなくていいの」
香葉子さんは心配して尋ねました。すると
「おかみさん、わたし、これしかないの」
と小銭入れを出すと、中には30円しか入っていない。ビデオを見たくて急いでやってきたのだけど、そのあとはもうなにもできない状態だったのです。
どうしてこんな話をするのか、「純ちゃんの部屋にテレビを買ってやるよ」という小さな約束を守らなかったのがどうにも気に入らなくて蒸し返したいのです。
人の不実さは、小さなことに出ます。30円ポッキリという出来事も小さな不実の延長だと思う。あの日は、石坂の家から出たのです。電車賃に不自由させておいて、頬を張るなんてとんでもない。
その不実な環境にいよいよ別れを告げる時がきたのです。
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