`73年末は暇な暮だった、3年続いた紅白出場はとだえていた。
「先生、紅白、落選しました」という藤圭子の大急ぎの電話に
「そーかあ、カラダを休めていこーかー」と石坂はゆるいキャッチボールのように答えていたという。
カラダとは実際のところノドのことになるのだろう。ノドの先行きが見通せない。さあどうなっていくのか。極秘で様々なところに当たってみた。その結果わかった診断の内容は「徹子の部屋」で本人がわかりやすく話している。
「ポリープではないんです。ポリープは声帯の後ろにできるんですが、あたしのは声帯の上、瑶人結節と言って声帯にできたタコみたいなものなんです」
「あー、そう、大変そうね」
「で、手術したんです」
「きれいに治った」
「ま、なんとか、歌えるようにはなりました」
「徹子の部屋」には何度も出演しているのだが、その都度、圭子のまったくつくらない素直な話で評判になっていた。子供の頃のエンジのオーバーの話も、ここでの話からはじまっている。
手術だが、シリーズ�,任和膤愽賊,寮萓犬判颪い燭里世�、国立病院の先生というのが正しいのだろう。場所柄で言えば戸山町の国立第一(戸山病院)となるのだろう。
「大丈夫ですよ。きれいに治ります」
という先生の声が後押しとなって決断した。
手術は大成功だった。だったと言われた。術後、喉の回復を待ちスタジオに入ると
「何かいつもと違うなあ」
と言いながらスタッフはさかんに首をひねった。高音がスーッと伸びていくのだ。声に引っ掛かりがなくなり、高音へ声がきれいにノビルようになった。喘(あえ)ぐようにひっかかる、声の表情がなくなったと言うのだ。
手術の結果と藤圭子の声との関係を、�,鯤簑�しながら書きます。
藤圭子の声は高音に上るところで一度ひっかかる(それが表情を生む)
「そこが、あたしの聴かせどころだったのよ。それができなくなっちゃった」
「あの手術で、藤圭子は死んだのよ。もういないの」
という否定的な言葉が強く残っているようだが、それは後々のセリフで、実際はそんな投げやりな姿勢ではまったくなかった。時が経つと事実は変質するからね。
藤圭子は、高音を生かす歌唱法を懸命に練習しはじたのだ。それまででも広い音域なのだが、驚くことに裏声を使わず地声だけでほとんどの歌を歌いこなせるという領域に達した。そうして、それまであまり使わなかった小節(こぶし)をいままでより余分に使うようにした。この歌唱法が、圭子の高い歌唱力をさらに上積みした。
高音の凄さは「マイウェイ」を聞いてみるのがいちばんわかりやすい。これが本当に全部、地声なのか。あきれるほどの歌声です。
「歌い込めば戻るから」と言われた音質も時間と共に相当、回復してきた。それも、本人しかわからない領域とまわりが言うほどだった。
「ぼくの仕事は、純ちゃんに、演歌の歴史に残る名曲を作るしかないね」
石坂はそうつぶやいて、事務所に居座るように生活し、原稿を書き続けた。
夜になるとやおら金庫から金を鷲掴みにし、歌舞伎町をさすらうように歩き回り、不幸そうな女性を見つけると、ひとつかみの札束を差し出し話しかけていた。
「あれがなきゃあ、大分、金を残していたんだろうに」
とチーフ・マネジャーは思い出すように言う。そうかもしれない。しかし石坂のこころ中は風が吹くように
「カラッポだったんだろう」。
「ネタが欲しいんだ。詩のこころになるネタが欲しいんだ」
そう、もがきながら歩いていたのだ。
少し遠目に言わせていただくと、藤圭子のヒットが生み出した金が、石坂のこころを海月(くらげ)のようにふやかしていて何も浮かばなかったのだ。
夏になって、やっと詩は仕上がった。
タイトルは「命火」だった。
見事な仕上がりだった。盛り場をつつむ、水垢(みずあか)のような冗長な人生は見当たらず、すっきりと立つ時代の不幸が現出していた。不幸は、まっすぐ前を見て、どこにもなんら媚びを売らず、いまを語っていた。
すぐに石坂の口立ての曲がつけられ、日程が進められた。学び尽くした、高音を生かし歌い上げるという圭子の唱法も、圭子の提案通り生かされていた。
後から言えばなのだが、藤圭子の「命がけ演歌」はこの時、完成したのだとぼくは思う。五木寛之が名付けた「怨歌」をついに乗り越えたのだ。これで、藤圭子は五木のあの予言から解放され、自由で天才の才能を持つ歌手になっていくはずだった。
「命火」は、夏明け9月からの賞レースにぴったり合わせ発売された。さあ幸運を、大きな幸運を、流星に。
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