「あたしは、スタジオが大好きなんだ。スタジオにいるとなんだか安心するんだ」
4年目の春、藤圭子は地方公演からスタジオ直行、スタジオからそのまま地方公演へという生活になった。けれどスタジオが大好きな藤圭子は休みなしの生活を少しも苦にせず、よろこんでいた。
「知らない人の間にいるより、スタジオという自分の家にいる方がいい」
という理屈なんだろうね。
それは降って湧いたように「演歌全集(8枚組/100曲)」という企画がはじまったからだ。
「すべての演歌を網羅をして、歴史に残る大全集にしてみよう」
という企画なのだが、デビューしてわずか4年の歌手にそんな大企画はありえないと思うのが、ま、自然なんだろう。ところが連続42週アルバム1位という記録を持ち、その中の多くの曲をカバー曲で達成した事実をパチパチパチと演算すれば、
「これは、いける」という答えを出す人も出てきます。石坂です。
デビュー1年のアルバム収録曲にカバー曲が多いのには、当然の理由があります。新人なのでオリジナル曲はまだ数曲しかない。その中でアルバムを作り上げるには、どうしてもカバー曲が主体の構成になります。
それにしても、どの時代のどの歌も、見事に歌う圭子の歌唱力があってはじめて可能になっています。
「演歌全集(8枚組/100曲)」は、その構成をさらに数倍も大きく発展させることでやっとカタチになる大企画です。
確かに仕事自体は大きな仕事。だが、ひと皮むけば石坂の焦りが見えているとも言えます。焦ると大ボラを吹くのがケレン味タイプの人間が必ずやるお決まりで、無理を押す。焦りとは「レコードの売上がジリジリと下がり、その原因が石坂の曲作りにありそうだ」というのが大方の見るところ。だから石坂はジリジリと焦っているのです。その中で、
「圭子のアルバムは売れるし、アルバムは大きくもうかる」
という成功体験もしっかり計算に入っていた(と、ぼくは思います)。
問題は時間で、日に3〜5曲をレコーディングという過密日程になっていた。普通は1日1曲、AB面でさえ2曲だよね。それが日に3〜5曲、数ヶ月続くというのは無理があるのだろう。
錦糸町で流しをやっていた時、日に200曲ほど歌って声が出なくなった時がある。代わりに(錦糸町で知り合った)親友のトコちゃんが歌ってくれて
「あたしの方がたくさん稼いじゃって、淳ペー、すねちゃってね」
なんてことがあった。(淳ペーとは、純ちゃんの言い換え、父親が呼んだのがはじまり)
「曲名を大きな紙に書き出して、録音がすむと赤マジックで消すんだ」
「赤マジックがどんどん増えて、あーここまで来たとか思うと、うれしくて大きな紙をいろんな方向から見たりしたりしていたよ」
と圭子は言うのだけれど、100曲のうちの85曲目、そこでぱたっと声が出なくなった。
(トコちゃんの時のように)
「前にも声が出なくなることはあったのだが、こんどのはちょっと違う」
ことを藤圭子はすぐに理解した。
以前そうなった時のようにノドを休ませ手当てをし、回復を待つ。
この方法で、休み休みでレコーディングは進ませるのだけど、回復にはだんだん長い時間がかかるようになっていた。それでも、「演歌全集(8枚組/100曲)」はなんとか`73年(昭和48年)の年末の発売に滑り込みで間に合わせた。
ここで、はじめのシリーズ�,諒絃呂北瓩襪海箸砲覆襦�ノドの手術のところにね。ちょうど演歌道、半巡です。
子ども時代のエピソードを含め、北海道を出て、デビューから「圭子の夢は夜ひらく」の翌年、上り坂の頃のはずなのだが、それにしてはとても軽い道のりとは言い難い。誰か、この人生に石を積んでいるやつがいるのか。そう言いたいくらい。
さあ、ここまで半巡で、なにか思いつくかと言えば、ふと空から舞い落ちるように思いついたのが、
「またの浮世で、逢うまでは」
という藤田まさとのとても古くて、切ない一行だった。
もうこの世では会うことは出来ないのだから、またの世を願うしかない。それにしても、人の世はそう変わっているわけはなく、やはり浮世なのだ。だから真っすぐなあなたを今度こそぼくが守ってやるからね、という勝手な願望です。
この一行は「妻恋道中」という道中演歌のサビらしいのだが、戦前の曲でほぼきちんと聞いたことがない。けれど漂流感がいいのかなあ。いちど思いついたら離れなくなってしまった。つまり藤圭子へのこころは漂流しているのさ。
「歌があったから、まあいいか、という人生ならいいかな」
デビュー直後のインタビューで藤圭子は話していた。
演歌というのは、明治以来、まったく明白な定義がなかった。
60年代のはじめに古賀メロディをめぐる論争が一時あったのだが、古賀メロディに関わる部分論議だけで全体をとらえることなく中途半端に終わってしまった。
完成した「演歌全集(8枚組/100曲)」の中で、演歌がカテゴリー分けされ収録されたことで、聴いてわかる演歌の定義がはじめて生まれたとされています。それも、藤圭子の人気があってはじめて広く知られる定義として定着したのです。
藤圭子は、演歌の祖になったのですね。(この言い方、本人は嫌がるかもしれないけれど)これ、大きな人生だよ。
理屈っぽい話ばかりなので、少し違う話。
仕事帰りにトコちゃんの家に寄った時のこと
「淳ペー、洗濯しな」
声をかけると、あっという間に着てたものをポイポイと洗濯機に投げ入れた。
「それがね、下着からぬいぐるみまで全部入れちゃうんだから笑っちゃうよね」
とトコちゃんは言うのだけど。
あれ、それじゃあ藤圭子はどんな姿で洗濯機の前に立っているのか。面白い人だなあ。
この無防備さこそが、きっとこの人らしさなんだろうなあ。ぼくは、笑いながらはたとそのことに気付いた。
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