◯2007年02月16日の日記再掲載
{昭和の落語家たち 7} 鈴々舎馬風
「よく来たな、満場の悪漢ども」
と、刑務所慰問の第一声にやらかしたのが、先代鈴々舎馬風だった。
これを聞いておかたい刑務官たちはびっくりして大騒ぎになったのだが、当の客というか聞いていた受刑者たちは
「なんだ馬風のやつか」
と大笑いしていたそうだ。
あだ名は、悪漢。そもそも本人がこわもての悪役ヅラなのだ。時代劇の悪代官顔に、にこっとするとなんともいえぬ愛嬌があった落語家だった。(刑事役や巨悪の黒幕をやらせると見事な神田隆という俳優がいたが、彼を派手にしたと思ってください)
楽屋イタズラが大好きで、お茶と偽ってオシッコを飲まされそうになった芸人が何人もいたそうです。
「満員のお客さまよ、いま当局の連絡がありこの中にスリが居るという連絡があった」
客席は、いつもの馬風の悪イタズラだと思ってもさすがにムッとする、立ち上がろうとする人もでる。そこで、すかさず、
「おっとお客さん、いま動いちゃいけねぇ。スリだと思われる」
と下げるのだが、この独特のアクがなかなか継ぐことのできない馬風のガラだった。
この馬風が、死んだあと20年くらい名前は空いたままだった。
「さあ誰かいないか」
と、オハチがまわってきたのが、キックボクシングのリングアナンサーの方が本業の落語家より有名だったという、ただただ図太い声だけが頼りの落語家、柳家カエルだった。
確かに風体は似ている。悪役ズラで、巨体だ。
でも、あの客を振り回す、アクの強い芸ができるか。死んだ馬風も、カエルも、よく知っているぼくにすればハテナだった。
で、継いで15年ほどたったのかな。
はじめは図太い声が雑な感じだけさせていただけなかったのが、「会長選挙」というネタを掴んだあたりから化けはじめた。落語協会の会長がどうなっていくのか、実は最後に俺のところにというバカ話なのだ。
ちょうど頃合いに愛嬌が乗って、ジジイになってきて下品もうすうす取れてきて、いい味なんだなあ。
「いまの会長は小さん、わたしの師匠ですがね、酒が好きでね、大きな声じゃあ言えませんが、血圧が高い、ま、長いことはない」
「その次の次ぎは円歌、あれはね一度、倒れてるしね、それにおっかあが若い、言っちゃなんだがこれがいちばんカラダに悪い。持たないよ」
どういうわけか馬風の予言(?)通りにことが運んで、志ん朝までがいなくなって、会長選挙のネタもなくなった。
で、はじめたのが、死んだ名人たちの酒の思い出話。
「これが、いい。実に、いい」
(名人を思い出したいというぼくの思い入れもあるのだが、それを超えている)
「古今亭志ん生、この人の口癖でね。
酒はいいよ、酒があったらほかになにもいらねぇんだ、でぇじょうぶ、ちゃんとクソもでるよ、ときたもんだ。でね、クチをとがらせてね、きゅうと一息で飲むんだが。
ああ、おれたちもいつか志ん生師匠みたいに飲みたいな、と言ってたんだけど、まねしたやつはみんな早めに行っちゃった」
「わたしの師匠、小さん、剣道7段、けれど飲むと座頭市だよ。
あのやかん頭にほうかむりして、
“およしーなさいよ”とくるんだ。
わたしら3〜4人が、小さん座頭市をとりまいて、お箸で切りかかる。小さんはお箸の仕込み杖でエイヤッと切り捨てる。バタバタバタとわたしたち。そして、 “いやな、渡世だな”ってうめくんだ。師匠はいいよ、けれど。
なんて馬鹿な渡世でしょ、わたしたち」
こうして書き並べると思い出話なのだが、悪漢ヅラから、次々、くり出す話には、えも知れぬあたたかさがある。それは、なんなのだろうか。
善人の思い出話には、思い出しかないのだが、悪漢の思い出話にはぬくぬくした体温がある。
人は生きて死んでいく。それだけのことだが、みんなそれぞれおもしろく生きて死んでいく。オイラ、それを見ているぜ、というあたたかさとまろやかさが話しの全体をとりまいている。
いい空気だ。人生はかくあらねば。
オタマジャクシはカエルになって馬風になって、これ、もしかすると名人になるかもしれないよ。
人間長生きするものだ。カエルだって70年生きりゃあ化けてくるというものだ。
◯元カエルこと馬風は、みんな次々と「お先に」でいなくなりまんまと会長になり上がった。まさしくまんまとだね。
で、会長を続けたのだが、本人が体調不良で勇退。次いてコロナで入院、「カエル、コロナに負ける」と浮かんだのだが、持ち直した。悪漢は粘り強いが、それでも歳だから、書いておこうと思ったのです。
「カエル、カエラズ」になる前に。
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