◯2006年09月26日の日記再掲載
ぼくの家のすぐ裏に、昭和30年代にとても人気のある映画館がありました。そこに、月に1回、映画のサークルがあって、決まってやって来るおじさんが、いました。
とても、おとなしそうなおじさんで、その日の最後の映画が終わるとロビーのブルーのソファーに座り、手をきちんとヒザの上において、待っています。いつも蝶ネクタイをしている支配人と呼ばれるおじさんがニコニコして少し離れて見つめています(蝶ネクタイのおじさんは、当時でも頭が立派にハゲていて白いスーツ)。おとなしそうなおじさんと蝶ネクタイのおじさんの取り合わせはとてもめずらしい風景でした。
やがて、映画を見た人たちが集まってきて、おとなしそうなおじさんを中心に、なぜか話し合いがはじまります。
「何を話しているんだろう」
何か秘密結社っぽくて、不思議で、ぼくは、知りたくてしょうがなかった。
ある日、秘密のヒントのように「エデンの東」とその日の最後の映画のタイトルが書かれた画用紙が貼ってあり、すこしずつ正体が見えてきました。
おじさんはそこそこたくさんの人の真ん中で、ニコニコしながら
「あのジェームス・ディーンっていう子はね。お母さんに嫌われてね。とっても悲しかったのね」とか話していました。
おじさん自身が、お母さんに嫌われてしまったようにそこだけはとても辛そうに話していました。
でも、ぼくは、まだ子どもでそんな大人の映画サークルには入り込めないし。みんな、おじさんを囲んで楽しそうに語っているのを、ちらっと見るだけでした。
そのおじさんが、ある日、突然テレビに出てきたのです。「金曜ロードショー」という番組だったかな。手をきちんとヒザの上においた、映画館のブルーのソファーに座っているそのまんまの姿勢でした。そして、ラストの
「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」
の挨拶であっという間に日本中の人気者になりました。淀川長治という名前でした。
解説コーナーのところでほんの数秒の空きが出て、おじさん、カメラに向かって普段いつもするようなサヨナラの挨拶が思わず出てしまったそう。拳をニギニギしながらのサヨナラです。けれど、見るからにやさしそうで、番組の後、
「あのおじさんにまた会いたい」
という電話が鳴り止まなかったそうです。
やがて映画サークルの正式な名前もわかりました。淀川長治さんと語る「映画の夕」という名前。会報などもあってロビーに貼り出してありました。とてもまじめそうな会という印象で
「やっぱりぼくには関係なさそうだな」
と思ったのです。
それから7〜8年たって、大学生の頃、近くのラーメン屋兼定食屋さんに行くと、あのおとなしそうなおじさんが入ってきました。
「ギョーザ定食をください、はい」
あのかわいらしい声で頼むと、スポーツ新聞の映画評を眼鏡にくっつけるようにして見ていました。食事が運ばれてくると、ていねいに
「どうも、ありがとう」と声を出しました。
その頃は、もう映画の人気にカゲリが出てきて、あれほど人気のあった映画館も少々ガタガタになっていました。大きな町の映画館はやっていけるのだけど、小さな町で大きめの映画館をやっていくのはムリになっていたのです。反対に、淀川おじさんはテレビの人気者。でも、淀川おじさんは、映画館のロビーでほんの数人の人で開かれる「映画の夕」を続けていたのです。
蝶ネクタイの支配人のおじさんは、足が少し不自由になって、それでもなんとか杖をつきながら映画館に通っていたようです。
「父さんは映画が好きだったから、どうしても行くって聞かないのよ。父さんに付き合っているうちに、わたしもトシだわ」
ぼくの母親がおじさんの娘さんに会ったら、そう聞かされたそうです。
ぼくのいちばん好きな映画、ピーター・ポグダノビッチの「ラスト・ショー」が公開されたのは、それから少したってから。
あの映画館は、最後の方はロマンポルノをやったりして、斜陽の波に必死に抵抗したのだけどやっぱりムリで、大きなマンションが建つことになりました。
その中でも淀川おじさんは最後の最後まで、「映画の夕」を続けていたそうです。
ぼくの頭の中の「ラスト・ショー」では、客席に淀川おじさんと蝶ネクタイのおじさんがきちんと並んで座っています。そうして「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」って、ふたりでスクリーンに手を振っています。
*淀川おじさんは、お母さんと2人暮らしで最後まで独身でした。
後からわかったことですが、お母さんの面倒をとてもよく見たそうです。
映画解説者はみんなホモ疑惑は、淀川おじさんからはじまるのですが、
ぼくは気にしたことがありません。
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