「岩見沢はとても寒いとこで、雪がもう腰のとこまで積もっていて。寒いけど、わたし、学校に行くのでバス停にいたの」
「そしたらダンプが急に止まって、運転手のおじさんが『学校、行くんだろうほら乗ってけぇ』って声かけてくれたの、うれしかったなあ。ダンプの中は暖かくて夢みたいだった」
「少し日にちがたって、またダンプが止まってくれて『ほら乗ってけぇ』って今度もまた声かけてくれて、それで乗せてもらったら、『これ、女房のお古だけど、着てけぇ』ってエンジ色のオーバーをくれたの、もう、うれしくてうれしくてエンジ色を抱きしめた」
「子どもだから名前を聞いたりとか、後からお礼をするとか考えなくて、親切な人っているんだなあと思って時がたっちゃたけど」
ほんの少ししか表情は変わらないのだけど、充分気持ちは伝わった。手はあの時のエンジ色のオーバーを抱きしめる小さな仕草で話し続けている。
でもね、少しだけ疑問を言わせて。
半年前の旭川で、継ぎ接ぎだらけの服を着て歌謡大会ではじめて優勝した女の子。膝までの雪の中、12kmも歩いてワリ(出演料)をもらいに行くと、門前払いでワリを出してもらえずさらに降り積もった雪道を歩いて戻った家族。
バス停に座っていたら小さいキミはよく見えないし。ホントにバス代は持っていたのかい。
「ほら、手の平の中を見せてごらん」
バスは通りすぎて行き。バスの後ろ姿を見上げながら、深い雪の中を歩いている女の子をおじさんは見過ごすことができなかった、というのがホントじゃないかい。ぼくにはそうとしか思えないよ。
藤圭子の生活は、ぼくらの想像力すっかり超えていて、そう話をするしかなかったんだと思う、きっと。
岩見沢にやって来る半年前、家族は旭川に住んでいた。そこでは、藤圭子は継ぎ接ぎだらけの服を着たオール5の少女だった。(体育と家庭科だけたまに4になる)
同級生は言う
「ひと言で言うと純粋な人、聡明で純真すぎる、レベルが違う、世界が違う、だから何も恐れない、言い訳しない」
町の人は言う
「そりゃもう、見るたび同情でしかなかった」そう伝えられるほどの貧乏ぐらし。
その落差。ただでさえ小さな女の子の身の丈を超えそうな落差。
ずーと遠足にさえ行ったことない藤圭子が、どうして貧乏のさなかにいて、どうして真っ直ぐでいられるのか。とても簡単なことではないし、ある種、奇妙なことでさえある。
どういう支えが藤圭子のこころの中にできていたのか。ぼくには、ひとつ想像できる。藤圭子は、正義という旗をこころの中にかざしていたではないだろうか。
「貧乏でも、わたしには正義がついている。
勉強していれば、わたしの正義はわたしから離れないんだ」
この答えをジグソーパズルように嵌め込めば、カチッと音がして「聡明で純真で、何も恐れない」という同級生の言葉が生き生きとした現実味を帯びて生身の、中学生の藤圭子が動き出す。
藤圭子のあの話し方や目の位置は、この正義という言葉で定まっている、ぼくにはそう思える。
藤圭子は、きっとこの言葉を頼りに生きていたのだろう。正義はまだ未熟な少女の揺れやブレを必死で防いでくれる。
貧乏をさげすむような目線に負けない強さ、恵まれた環境の子に勉強で負けない意志。
正義を抱く少女、藤圭子は、継ぎ接ぎだらけのジャンヌ・ダルクとして15歳を生きていた。
「学校は行きたかったよ。でも家のことあるから」
学校をあきらめて、家族そろって岩見沢の温泉施設で専属の芸人になり、藤圭子もはじめて歌手になる。
しかし、オール5の少女は、旭川から誰にも言わない秘密を持ってきていた。地域の英語弁論大会で優勝をする。その時から「いつかアメリカ人になる」という言葉が不意を衝くように出てくるようになっていた。いま思えば、正義の旗を、いつか支えきれなくなる予感があったのかもしれない。それにしても、地域の英語弁論大会で優勝のことは、不思議に誰にも話そうとはしていない。
新宿6丁目、石坂まさをの家から怒鳴り声がする。
毎夜、毎夜の方針会議は大概は大モメになった。
「なにぃ、言うことわかんねぇのか、表に出ろ」
「よーし、いいよ、やってやるよ」
28歳の作詞家を追いかけて、まったくやんちゃの経験なんてない元オール5が表に飛び出していく。
この時、18歳になったジャンヌ・ダルクだった。
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