「龍光先生を膝代りに、主任(トリ)を務(つと)めるのが夢だねぇ。そいつができたら芸人やめてもいいよ」
とまで言ってはばからない落語家がいた。さーて、誰だか、想像つかないよ。
膝代りとは、トリの前に出て客席をほどよくあたためて、そう長くも務めずキリのいいとこで「それではお待ちかねの」などとトリに繋ぐ芸人なのだが。あ、テレビの前説と一緒にしないでね。あれは前座仕事。膝代りは一流芸人の仕事。芸が良くて、粋な芸人の仕事とされています。(ただし龍光先生は「お待ちかねの」などのヨイショは一切しません)
色物の芸人のトップが占めるのが好例で。当時60年代でねぇ、膝代りといえば次の三人かなぁ。
柳家三亀松
牧野周一
アダチ龍光
ただし柳家三亀松は看板が大きすぎて、なかなか膝代りはやらなかった。トリより大きく見えちゃう。
この中でのアダチ龍光なのだが、キツイ新潟ナマリで見るからに田舎の村長さん。やさしそうな角栄さんが高座に上ったと言ったら良いのかな。
「オレがにぃ、失敗するんじゃにぃか、思ってんだろう」
「こりが、すねぇんだ、ずーとやってんだから」
なんとも新潟ナマリのヨタで客席を煙に巻く。ひと言ひと言の間がいんだなあ。言ってみれば、超変化球の粋な芸なんだ。
ちょっと横道。当時、落語協会では暮れになると忘年会をやります。そこでの隠し芸が芸人仲間の話の種で、みな密かに出し物を練る。
漫談の牧野周一師、餃子形の座布団状のものを作り出したそう。少しまわりがびらびらしてる。で、真ん中が顔を入れる場所。どう、思いつきませんか。あのー、餃子形の、女性形の、フカフカのカブり物です。その真ん中に顔を入れ、これが自分のところに出入りするもののことをアレコレぼやくんです。ノムさんより古い、牧野周一の元祖ボヤキ節。
「昨夜は、大きすぎるものが来て、えーこれはいけません」など。
えー、この話はこの辺で。もはや行き過ぎです。(伝説の当たり芸です)
元へ、龍光先生です。憧れまくっていたのは立川談志です。
あの談志が人を褒めたり、憧れたりするとは。当時は小ゑんの頃かな。「龍光先生、龍光先生」と取り巻いてどこにでもついて行っちゃう。龍光先生も小ゑんを可愛がった。龍光先生、モノマネがうまくて昔の芸人のマネ、動物のマネ、次々やって見せるとまた「ヤンヤ」です。
小ゑんが談志になって、主任(トリ)を努める時に龍光先生に膝代りをお願いしたのは当然なんですが、もっといい話です。
さしものの先生も80年代を過ぎると次第にトシを召してきます。トシとなればつきものは、忘れっぽさ。
先生は、後見なしのひとり芸。誰も高座で助けちゃくれない。キモになる道具、チャイナリングだったら秘密のつなぎ目のある輪だったり、ロープだったら同じく仕掛けがついたやつだったりまさしくキモを高座に置き忘れる。
「シロウトにゃ、わかるわけないぃんだ」とヘッチャラケ。
龍光先生に文句をつける芸人はいないのだが、そこはそれ自分で
「そろそろいいか」と引退をした。あの先生のナマリの故郷、新潟に帰ったのです。
それから数年たちました。
翌月の新宿の主任(トリ)が決まっていた談志は考えた、考えて新潟に向かった。
「龍光先生、オイラがトリの日、一日でいいから膝代りを務めてくんねぇかなぁ」
「うーん、おめぇが、言うんじゃしょうがねぇなあ」
当日、「今日はねぇ、めずらしい人、連れてきたよ。名人だよ」
例の、首を傾げアゴをさすりながらの仕草で、談志は挨拶をした。そこに入れ替わりで、満面の笑顔の龍光先生が出てくる。事情をよく知らない客席はそりゃあ驚いた。しばし間を置いて、大拍手です。
そうしてすごい事にまったく何の失敗もなく、龍光先生、高座を努めきったのです。けろっとして、さあ、高座を降りようとしたところを談志が飛びついた。うれしくて、うれしくて、抱きついて、自分のトリの高座をはじめません。はじめられないのかなあ。
「あー、談志のやつもかわい気あるねぇ」と客席は思っていたのです。
あの、ホントのところ高座を遅らせたのは、それは、それは小さなもの。
男子の涙です。(という古い噂でした)
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