◯2006年12月4日の日記再掲載
楽屋に入ると、やにはにズボンを脱いでステテコ姿、商売物のバイスクル(世界のカジノ指定のトランプ)を取り出し、スタ、スタ、スタと切りはじめる、そして
「じゃぁ、はじめかっ」
と必ず口を切るのは、アダチ龍光先生。
なにしろ楽屋博打が大好きで、ヒマを見つければ、すぐに回りの者に「番をかける」のだ。やるものはきまって、トランプの絵フダを外してのオイチョカブ。ところが、ところが、これがからっぺた。やると負け。やると負けの先生のアダ名もあったくらい。
「師匠が相手なら、銀行もお金を貸します」
と若手にからかわれるのだけど、龍光先生、平気の平左。
「い」の音がやたら強い新潟なまりの口調で、分厚い近眼眼鏡。(声を聞いたら、みんな思いだすのだけどなあ)見るからに田舎の村長さんなのだが、人を食った芸で笑わせるマジシャンの中の大看板、龍光先生だ。お得意は高座の上で、食事をしちゃうという人を食った芸ならぬ、人の前で“食っちゃう芸”。
空の薬缶を出して、ひょいひょいと振り回す。
「ほら空でしょう。これじゃぁ、しょうがないんでねぇ」
と言いながら、ホイと一声、あれっお湯が一杯になり、用意したインスタントラーメンに注ぐ。そこから3分間、新潟なまりのフラを飛ばしながら、小技で間をもたせる。
「戦前にゃ、こんなものなかったねぇ。いい時代だ」
など言いながらとんでもないところから、胡椒を出したり、箸を出したり。
でね、ここからがすごい。
出来上がると、やにわに客の前でゆっくり食べはじめるのだ。
ここで余計なことを言わないのが龍光先生の見事なところ。客席はシーンと静まり、ただただ食べるのを黙って見ているのだが、先生は平ちゃっらけ。
食べ終わると、
「はい、今日は終わり」
平然と引っ込んじゃう。
あっけに取られた客席から、あとを追うように拍手が鳴る。というようなわけで、田舎の村長さんの風貌と口跡、それにこの度胸のよさが一体となった、人を食った世界が龍光先生の独壇場。寄席の世界で、膝替り日本一と言われたのは、この客席を騒がせもせず飽きさせもせずの味だった。ぼくなんぞは、この様子になんとも粋なものだと思っていました。
そんなもんで楽屋博打に負けるたびに、いわば商売道具の指をしならせもぞもぞナマリながら
「お前らな、俺が本気をだせば、ひとたまりもないぞ」
とスゴムのだが、それでも生涯イカサマをしたことがない、らしい。だってやっぱり、先生、負け続けたのです。
(マジシャンとイカサマ師の話しを前に書いたのも、この話があるから。どうやら、マジシャンとイカサマ師は両立しないらしい)
この龍光先生、天皇陛下の前で、マジックをやることになった。
先生、マジシャンの制服、燕尾服をきっちり着込んでタクシーに乗り込んだ。
タクシーが坂下門の前まで来ると、あの新潟なまりで
「運転手さん、そのまま真っつぐ入ってくれ」
運転手は驚いた。昼間っから、新潟なまりでヒゲを生やした燕尾服のじいさんが皇居の中に入っていけ、と言うののだからとてもにわかに本気にはできないよね。
「あー、今日はついてない。昼間っから、気違いオヤジに捕まっちゃった」
と運転手は思ったそう。そう思うのも、もっともであります。例の詰め所の2〜30m手前、橋を過ぎたあたりで止まっちゃった。
「なんだ、あれは」
すったもんだのやりとりをを遠くにみていた、坂下門の詰め所の警官がすっ飛んで来て、やっと中に入ったと伝わっています。
さて、当日のトリの演し物は、腕時計の瞬間移動。手にはめていた腕時計がまっさらな食パンのまん中から出てくるというもの。腕時計を中から出す時にやっぱり、むしゃむしゃ食パンを食べたそうです。
「あのパンは美味しいのですか」と陛下はお聞きになったというのですが、どうも真偽は定かではない。
それにしても天皇陛下の前でも、人を食った芸をやっちゃった。ここまで人を食った芸人は他にいないだろうなあ。
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