◯2006年11月29日の日記再掲/下記コラム必読です。
街の灯りが とてもきれいね
横浜 ブルー・ライト・ヨコハマ〜
ワタナベのおばあちゃんは、いつも世話しなく動いていました。
綿のスカートに白い割烹着を着て、朝からセッセと立ち働きます。掃除や洗濯や、やることは一杯あるようで、ムダグチを利いたりなんかしません。
ぼくのところの2階から見ていると、アパートの庭にある物干の前を行ったり来たりしているおばあちゃんのひっつめ頭が、タッタッタッタ小走りのように動いているのがよーく見えます。
「おばあちゃん、きょうも大変ですね」
時々、アパートの人たちがおばあちゃんに話しかけますが、とてもていねいに返事をかえします。品がよさそうな話し方です。
おばあちゃんは、2人の孫がいて、その面倒を見ています。
上の孫は、もう学校を出る年で、下はまだ学生。
「親がいなくてね、おばあちゃんがなにからなにまでを面倒を見ているんだからね。おばあちゃんはほんとにえらいね」
近所の人たちは、いつもほめています。
でも正直、ぼくらにはあんまりきっちりし過ぎていて、少しこわい感じのするおばあちゃんなんですが、時たまニコニコ見ているときがあります。
「キーちゃん、キャッチボールしようか」
下のお兄さんが、学校から帰って来て、ぼくを見つけるとキャッチボールの声をかけます。そうしてぼくらがキャッチボールをしているのを見かけて、子どもたちが集まってきます。
「じゃあ、やるか。みんなでチーム分けしよう」
軟球(テニスボール)を使った横町野球がはじまります。
ポコーン、ポコーン、道幅一杯ひろがって、子どもたちが走り回ります。
そんな時、ひょいとアパートの玄関を見ると、おばあちゃんは玄関の脇でうれしそうに立っています。おばあちゃんが1日の内でじっとしてくつろいでいるのはきっとこんな時だけなのかなあ。
あなたとふたり とてもきれいね
横浜 ブルー・ライト・ヨコハマ〜
上のお兄さんが帰って来ると、ニコニコ見ているだけ。
おばあちゃんのアパートは学生下宿風で、2階の2部屋を借りていました。南側は陽の当たる縁側になっています。
ある日、トラックが来て、縁側の前に、重いものを持ち上げるための3本の大きな柱を組みました。
カラカラカラ、カラカラカラ、滑車を回して、グランドピアノを持ち上げていました。半日かかってグランドピアノは上のお兄さんの部屋に運び込まれました。
入ったのを見ると部屋はピアノでぎゅうぎゅう。上のお兄さんは、ピアノの下に布団を敷いて寝ることなったようです。
「あー、そうかピアノを弾くから野球はやらないんだな。指を傷めちゃいけないからね」
ぼくは気がつきました。
上のお兄さんは学校を出ると、おおきい画板のようなものを持っていつも出て歩いていました。下のお兄さんは変わらず学生で、野球をやったり、いっしょに銭湯に行ったりしました。
そして、下のお兄さんが学校を出る頃に、ワタナベのおばあちゃんの一家は越して行きました。
「おばあちゃんは上の孫ががんばっているので、とても幸福(しあわせ)になったみたいよ」
「よかったわよね。おばあちゃん一生懸命だったから」
近所のおばさんたちは、そう噂をしていましたが、ぼくだけはその理由を知っていました。
上のお兄さんは、「ブルー・ライト・ヨコハマ」という曲を作って有名な作曲家になったのです。名前は筒見京平、だからおばさんたちにはわからないのです。
あなたとふたり いつまでも〜
ブルーライトになるまで、横町野球をやっていた日を思い出します。
●主人公のお兄さんは2020年10月、80歳で亡くなりました。
TV画面を見てボー然としました。
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