夕暮れが夜になりかける1時間、すれ違う誰もが美しく見える淡い色合い、マジック・アワー。そのはざまのような時間の終わりに姿をあらわした黒いドレスの女。
夜は若い。ブロードウェイのミュージカルに誘い、振り返ると、もう女はどこにもいない。
幻の女。黒い闇に包まれ、透明な肌と不透明な風景を持つ女。
アイリッシュの名作「幻の女」なのだが、ぼくはこの冒頭の「夜は若い」の虜になってしまった。
通りには、タクシーが行き交うのだが、霧のような空気がクルマ寄せをふさぎクラクションは手応えもなく聞こえる。女はいない。けれど、夜は若いのだ。
主人公は、その夜、殺人事件の犯人に仕立てられ、ただ一人の無実を証明できる「幻の女」を追うのだが、それは迫る刑の執行時間とのシーソー・ゲームとしてストリーは進行していく。(デビッド・ジャンセンの「逃亡者」のプロット、と言えば一気にわかりやすいし、この形のドラマはいくつもあるだろう。はじまりは、これかもしれない)
さて冒頭を映画にしてみようか。遠くで微笑み、近くでまっすぐぼくを見る女性、スクリーンの中には奥行きはないのだが、素晴らしい技術がそれを再現する。
「夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった」
女の顔が、遠ざかり消えた画面の奥へタクシーが抜けていく。
ぼくの、文章を書くという仕事は、つまりこうした言葉がつくりだすマジックを再現しようとし。時には模倣もし、なぜか神になりかけて数日過ごすと、元どおりの姿で立ち尽くす自分に出会うことになる、そういう日々を過ごすことだ。
文章というのは「幻の女」なのだ。夜は若く、探しあぐねすぐそばまで近づき、やっと声をかけ手をとり
「さあ、飲もうか」
と黒いカウンターにグラスを置くと、「水は少しね」と言っていた女は消えている。
「幻の女」はどこにいるのか。さほど腕ききではない探偵が答えを引き出す方法はひとつしかない。どうやら答えらしきものは、はじめに遺留されていた。
夜は若い。(この言葉が正体だ。長い夜にひとり学ぶしかないということなのだ)
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