世間相は、邪悪。
まず競争、勝負、フェアプレーなど無い。
早い者勝ち、負ければ馬鹿で脱落者。
みじめである。どうも幸福な者が観えるようだ。
苦行でもある。快楽でもある。
人の中で生きる。人の価値観で生きる。
目の前の事が、押し寄せる。
悟りの世界など、耳には届かない。
聖人はただ争わず、と言う。
負け犬だろう。
そういう世界に身を置いた事があったが、
屈辱、みじめだ。大して求めてもいないのに、勝たねばならない。
勝っても、認められない。徹底的に屈服させなければ、恥辱。
強迫観念的だった。
いつでも、人間失格が、隣だ。
苦しみなど、理解されない。
しまいには、苦しんでこそ、力が出る、など。
励ますつもりで、邪念を定める。
足を引っ張り合うなど、日常。
醜さを悲しむ事も無い。
それで何が手に入るか?
快楽も叶わない。
貪欲は罪だと言う。
周りがそうで、なぜ悪い?と言うが如し。
そういう時に、地震などある。
そこまで競争が激しくなくても、
そういう人は、社会によくいる。
何かの縁で、そういう事になりもする。
私の話は、綺麗事とされる。
ならば、自分で勉強しろ。
基督教でもいい、仏教でもいい。
しかし、その言葉は、頭に響かないかも知れない。
生き方に響かないかも知れない。
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