厭離穢土、欣求浄土と続く。
上の世界は、だいたい三種。
天国、天界、浄土。
天国とは、身相神通楽、好五境界楽。死んでから往く所。
また徳が尽きれば、輪廻する。
天界とは、官位があり、死や福、禍などを監督する神さまの所、
死はない。ここには、道を悟り、善の修行を全うして迎えられる。
浄土、これは仏さまの住所、もちろん清い。道が行われ、万人が慈悲を尊ぶ。
これらを求めるなら、修行が要になる。
修行法を求める事自体、修行の前段階だ。
死んで往く場合もあれば、生きて往く場合もある。
それで厭離穢土の気持ちが起こるわけだが、
これは何か?穢れは、淫欲、食欲、怒り、嘘、不倫や、悪口、
ともかく様々ある。これらは一口で、悪、あるいは不善、それも心のものとも言えそうだ。
これらに満ちている。だから穢土。しかし、
これは、さて皆の穢れを除くぞ、とはいかない。
修行法は、忍耐か、瞑想か、修善くらいしかない。
厭離穢土の気持ちは尊いものだ。これが芽生えれば、来世は、上だ。
しかし、試されもする。
忍耐と修善は何も言えないが、瞑想については、心を観る。と言っておく。
仏教瞑想は、総てを鎮めるのだが、これはいつも言っている。
道を悟るのは、心を悟る事でもある。
常に善心でいられれば、それは尊い修行だ。
周りは悪だとしても、自分は悪に落ちてはならないのだ。
この世界は穢土である。
かといって引き籠ろうと、自殺しようと、問題は解決しない。
ただ、修行のみ、未来を創るのだ。
何であれ、善心であれ。
強く大きくあれ。
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