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2015年07月14日14:46

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その場所には熱があった(07)

 都内とはいえ私鉄の駅から十五分。小さな町工場の集まった場所。その中の事務所というよりは倉庫のようなもののひとつが、その出版社だった。出版社の経営者は六十過ぎの男だったが、実際に会社を切り盛りしているのは、まだ、二十代の、けっこうな美人だった。確か筆者とは一つか二つしか違わなかったのだが、ずいぶんとお姉さんに見えた。
 マニア雑誌の仕事を受けるために最初に事務所を訪れたとき、彼女は「じゃあ、そこで全裸になってオナニーしてみて」と、言ったのだ。確かにエロ雑誌である。マニア雑誌である。しかし、そんなことがあるものだろうか。何かの聞き間違いかと思って筆者は、あたふたとしてしまった。その動揺が今は懐かしいが、あの頃は、本当に、驚いたのだ。
「そんなことも出来ないなら、ここで仕事なんて出来ないと思うよ」
「別に出来ますけど。むしろ、オナニーを見られるのはボクの趣味みたいなものなんですから」
 筆者の記憶はここで途絶えている。その後、その出版社とはギャラの折り合いがつかずに仕事をしなかったからだ。あのとき、彼女の前でオナニーをしていたのか、あるいは、そうしたジョークだったと言われて終わったのか、その記憶が定かではないのだ。
 大学のある私鉄の駅を降りると、大きな公園がある。その大きな公園を越えると、商店街の入り口があり、お好み焼き屋がある。そこまでは記憶の通りだった。お好み焼き屋はあの頃も古びていたが、今なお、古びたまま、しかし、まだ、営業しているようだった。
 その先には喫茶店があったはずなのだが、それはなかった。喫茶店を目印にして曲がったので、そこで道は分からなくなった。町工場が多い印象があったのだが、それらしいものは少なかった。事務所を過ぎると信用金庫があったのだが、それは見つかった。行き過ぎたのだと思い、道をもどるのだが、彼女がいた倉庫のような出版社の事務所は見つからなかった。そばに定食屋があったのを思い出したのだが、それも見つからなかった。
 駅のそばの公園までもどって、そこのベンチに腰を降ろした。企画とギャラの交渉で、ここを何度となく訪れたのだ。あの彼女とも何度も話をしたのだ。しかし、どうしても、思い出せないのだ。その場所も、そして、あの最初の日、筆者は彼女の前でオナニーをしたのかどうかも。曇天の公園はなんだか暗く寂しかった。あの頃の公園は、もっと熱を帯びていたような気がした。不思議だった。
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