人が、「死をも恐れぬ勇気」と呼ぶものがある。
一般論として言うならば、死を恐れないことが「勇気」であるとは、
僕は思わない。
人が、死の危険をも顧みずに、何かの行為に駆り立てられることはある。
「駆り立てるもの」には様々なものがあるだろう。
それが「まこと」と称せられることもあるだろう。
また、それを「暗い情念」としか呼び得ないこともあるだろう。
「死など恐れはしない」
という同じ言葉でも、たとえば二十歳の青年が言うのと、
四十過ぎの中年男が言うのとでは、随分と意味合いが違うのではないか。
人生を知らず(ときには女すらも知らず)、
死へと赴く青年の心情には、
「悲しみ」や「勇気」があり、
あるいは、世界(情況)の不条理に対する「怒り」はあるにしても、
(「怒り」は、ときに人を死へと駆り立てる)
少なくとも「暗さ」に彩られることは、稀であるように思われる。
しかし、人生における「敗北」までを知り、
あるいは「勝利の無意味」を識り
自分の為し得ることに「たか」をくくってしまい、
もはや「この世」と別れを告げることに、
さほどの未練も感じなくなった中年過ぎの男の
「死」に向かう心情は、たとえ、それが
「敵」と戦うための決意であるとしても、もはや
「勇気」などといって賞賛できるものではなく、ただ、
「暗い情念」
としか呼び得ないものであるような気がする。
Passion
それは、生きることのみに向かうのではなく、
時には、「死」を目指すこともある。
「死へと向かう情念」を、人は「衝動」と呼び、
一時的なもの、非理性的なものと見做すかも知れない。
しかし、ヒュームが言うように、
理性は情念の奴隷にすぎない。
情念が倫理をかたち創り、
倫理ゆえに、「生」の端末にある「死」すらも超越して、
「生きる」ということがあるかも知れない。
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以上は、晩年の、すなわち44歳のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの心境について、僕なりに考えたことだ。『星の王子さま』を書き終えたあとの彼の心境は、このようなものであったのではないかと思う。
絵本である『星の王子さま』の執筆が、彼の自発的な創意からのものであったかどうか、多少の疑問がある。出版者から「1942年のクリスマスまでに子供むけの御伽話を書くように」すすめられたという話もあるし、それ以前から彼は「御伽話の世界」に沈潜していたという話もある。
いずれにしても、彼は童話作家ではない。それなのに、最後の著作の形式として「御伽話」を選んだ理由は何だろうか。
「その頃の彼には、他の形式での著作を創ることが難しかった」というのも、答のひとつかも知れない。本格的な長編としては『城砦』に着手していたが、これなどは完成のために、あと何年かかるのかも分からない。
情況から考えると、彼が直裁に政治的な声明を出すことは、そうとうに難しくなっていたのかも知れない。フランス人がペタン派とド・ゴール派に岐かれ、その対立が先鋭化する中で、サン=テグジュペリが説くような宥和論は、政治的な立場(生命)を失っていった。
彼が晩年になって持つに至った、独特の文明観・人間観・社会観・戦争観……。
そうしたものを手際よく要約して示すことは、今の僕には出来ない。
しかし、40歳を過ぎた彼には、到達したひとつの境地のようなものがあったのではないかと考えている。
ジャーナリストでもあった彼は、社会的・政治的・経済的な問題、更には文明的な問題についてまで思索を深めていった。そして「戦争」を前にして、文明のあり方、新たなる人類の姿、戦争に対する態度などといった問題についても、彼なり考え方が「結晶化」を始めていったのではないかと思う。
もしも時間が充分にあり、世が戦争でなければ、彼はそうした思索を「作品(著作)」として残そうとしたかも知れない。
しかし、彼はそうした思索の作品化を具体的なものにはせず、軍の偵察部隊への復帰を試みる。
「サン=テグジュペリは、思索の人ではなく行動の人であったのだ」
と言うことは簡単である。
しかし、それでは、彼の本質を充分に説明したことにはならないと思う。
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『星の王子さま』という本は、自由フランス軍の偵察部隊のパイロットを志願するという形で「未必の故意」の「自分の死」を選んだ44歳の男の遺書であると思う。
その中年男は、社会的な意味でも政治的な意味でも、「世界」というものに飽いていた。
経済的な意味での私生活にも、家庭(夫婦)生活に対しても、少なからぬ疲れを感じていた。
多くの友人や戦友たちの「死」を経験し、もはや「死」を恐れるべきもとは見做さなくなっていた。
彼に「最後の行動」を促したものは、情念であり倫理であったのではないかと思う。
誰かが(ましてや友人が)困難な中で苦しんでいるときに、自分だけ安逸の中に留まることは出来ない。このことは、彼にとっての倫理であったが、その倫理を推し進めているものは、理性的な何かというよりも、情念そのもののようであった。
『星の王子さま』という名の遺書には、ふたつの性格があると思う。
ひとつは、作家・ジャーナリストとしての彼の「遺書」であり、さまざまなエピソードの中に、戦争という異常な情況の中で結実しつつあった彼の文明観・世界観・政治的テーゼ・倫理観などが寓話的に描かれている。
もうひとつは、決して順調とは言い難い結婚生活を共にした妻コンスエロへのメッセージ。
「バラの花」には、祖国フランス、一般的な意味での「女性」、そして妻以外の彼の「彼女」などがキャラクター化されている部分もあるかも知れない。しかし、このバラが標章している第一のものは、彼の妻にほかならないだろう。
「遺書」。つまり「現世」に遺す最後のメッセージの形式として「童話」を選んだ彼は、結果から見れば賢明であった。いつも思うのだが、この作品のこれほどの「成功」は、著者自身も予想していなかったのではないかと思う。
『星の王子さま』は、世紀を超えても達し得ぬ理想を描くことによって、永遠の生命を得た。
最近、そんなことを考えてみた。
近々、サン=テグジユペリの「戦争論」あるいは「反戦論」についても記してみたい。
<サンテグジュペリと『星の王子さま』に関する日記>
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=233093359&owner_id=2312860
<生と死に関する日記>
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=515589683&owner_id=2312860
<理性の情念に対する隷従>
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=527114804&owner_id=2312860
<『星の王子さま』トピックス>
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=36499873&comm_id=2339
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