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2008年02月16日01:47

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MASH−自死論01

朝まだ早きとき、霧の向こうに私は見た。
ものごとのあるべき姿を。
この苦痛に私は、もう耐えられない。
私は悟り、そして知ることができる。

自死は、苦痛を伴わない。
それは多くの変化をもたらしてくれる。
そして、それを為すも為さぬも、
私の望み次第であるということを。

人生というゲームは、戯れるには辛すぎる。
いずれにしても、私は負けるのだ。
いつかは、負け札を引いてしまうだろう。
だからこそ、私が語るべきことは次のことだけだ。

自殺は、痛くない。
それが、多くのことを変える。
そして、それを為すも為さぬも、
私の望み次第であるということだ。

一人の勇敢な男が、私に答を求めたことがあった。
重要な問題に答えてくれと。
人生を生きるべきなのか、死すべきなのか。
私は問い返した。「ああ、なぜ私に尋ねるのだ」

自死は、痛みを無くす。
それは多くの変化をもたらしてくれる。
そして、それを為すも為さぬも、
私の望み次第であるのだ。

そして、あなたにも同じことが出来る。
もしも、あなたが望むならば。

「M☆A☆S☆H」主題歌「Suicide is painless」より豚訳

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以下に記すことは、特に目新しいことではない。これまでに多くの人が思い、これからも多くの人が思うであろう極めて凡庸な考え方だ。ただ、それを、自分の経験との関係で、自分の言葉とおぼしきもので(と言いながら、例によって引用が多いけれど)記してみようと想うだけのことだ。

僕が「自殺」ということを最初に意識したのは、中学生のときだったと思う。深夜にテレビで放映されていた「MASH(マッシュ)」というドラマを観ていた頃だ。朝鮮戦争におけるアメリカ軍の移動野戦病院(略称MASH)を舞台とし、そこで働く軍医たちを主人公としたこのドラマは、軍隊生活や戦争をアイロニーとペーソスたっぷりに描いたコメディであり、なぜか僕のクラスでは(女の子も含めて)大人気だった。
当時(1970年代末)は、DVDはおろか、ビデオさえまだ家庭にはなかった。だから、せめてもと、テレビの「音」をラジカセで録音して、中学生どうしで貸し借りして聞いたりしていたものだった。

このテレビドラマには、映画版「MASH」と共通の主題歌があった。
英語の勉強をし始めていた僕は、英語の先生に主題歌のテープを渡して、「勉強に役立てたいから」との理由をこじつけて、歌詞を書き出してもらうことをお願いした。(今にして思えば、ずいぶんと厚かましいことを頼んだもんだ。)
数日後、先生は手書きの歌詞カードを僕に渡しながら言った。
「歌詞の中の『Take (it) or leave it』というのは、商売の文句として慣用的な言い方です。『To be or not to be』はシェークスピア『ハムレット』からの引用ね。でも、これはあんまり中学生向きの歌じゃないわね。こんなのじゃなくて、ビリー・ジョエルの唄でも覚えたら?」

サビの部分で「Suicide is painless」と歌われるこの歌の詞を何度も読み返してみたが、中学生の僕にはなんともイメージがつかめなかった。日本語に置き直してみたが、意味が分からなかった。
「自殺は無痛である」とは、どういうことだろう。中学生の僕の意識の中では、「自殺」というものに対して、なんとなく漠然と、「罪」「悪いこと」「してはならない」「忌むべきこと」というイメージがあった。その「自殺」をテーマとした曲が戦争コメディの主題歌となる理由が、全く分からなかった。ただ、「自殺は痛くない」というテーマが僕の頭の片隅に残り、それが時々、興味の対象として僕の意識に浮かび上がってきたりするようになっていた。

高校生になると、理解の程度も少しは違ってきた。
誰だったか忘れたが、昔のヨーロッパ人の言葉で
「死を思うことは最上の慰安である」
という言葉を読んだ記憶がある。自殺についてではなく「死」についてであるが、モンテーニュも次のように言っている。

「われわれの生涯の目標は死である。死はわれわれが目指す必然的な目標である。……それに対する俗衆の薬は,それを考えないことである。」
「死がどこでわれわれを待っているかわからない。われわれはいたるところで死を待ち受けよう。あらかじめ死を思うことは,あらかじめ自由を思うことである。……死ぬことを知ることによって,われわれはあらゆる隷属と拘束から解放される。」
(Montaigne;Essais.1.20.)
(こうした思考が、ハイデガーの「死へと向かう存在」という概念につながるのかどうかは、そのうち考えてみよう。)

自殺は死ぬための手段であるが、自殺について考えることは、生きるための手段(契機)でもあると思ったりもした。

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このようなことを思い出したのは、吉野朔実のトーク・ショーのため池袋のジュンク堂に行ったときに、村上春樹の近刊を立ち読みしたからだ。『村上ソングズ』(中央公論新社)の中で、彼は「MASH」の主題歌を採り上げて、次のように書いていた。

「僕自身、このリフレインの部分を『自殺をすれば痛みは消える。それがいちばんラクかもね』と口ずさみながら、これまでの(わりに長い)人生をなんとかぶじにやり過ごしてきた。みなさんも興味があれば歌ってみてください。内容のわりに、なんとなく明るい気持ちになれます。」

ただ彼は、次のようにも書いている。

「1970年以降、僕のまわりでも少なからざる人々が、『無痛』の道を選んで消えていった。この歌を聴くたびに、そして口ずさむたびに、彼らのことを思い出す。すごく美しいメロディーなのだけれど、そこには優しい毒が含まれている。」

43歳の僕は、人が自殺するということの「意味」と「無意味」を、少なくとも高校生の頃よりは、分かりかけているのではないかと想う。

自殺が無痛ならば、
痛みは、生きている証である。
(そんなセリフが、小林源文のマンガの中にあったなぁ)

自殺は死ぬための手段である。
しかし、自殺について考えることは、生きるための手段でもある。

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「MASH」の主題歌の歌詞は、村上春樹による和訳とともに、『村上ソングズ』に掲載されている。僕は、映画版の「MASH」のDVDを持っている。何年か前、滝沢聖峰氏の自宅に遊びに行ったとき、「MASH」のテレビ版の画報(英語版)を見せてもらったことがあった。実に、うらやましい。北米地域用仕様のようだが、「MASH」テレビ版のDVDが出ているようだ。
「MASH」については、いずれ改めて書くこともあるだろう。

(つづくかもね)

<「MASH」主題歌の歌詞(英語)>
http://www.songlyriczone.com/song.php?sid=177298&aid=9535
http://hajime.asablo.jp/blog/2005/09/22/82830
http://blog.goo.ne.jp/yosh290904/e/4f5f7bf8d3e2f322c058f265c3c92d10
http://elvablue.exblog.jp/359212/
http://www.lyricsdownload.com/mash-suicide-is-painless-lyrics.html
<MASH(テレビ版DVD)>
http://www.amazon.co.jp/Mash-TV-Season-M-S-H/dp/B00005QVVC/
http://www.amazon.co.jp/Mash-TV-Season-3pc-Coll/dp/B000066STL/
http://www.amazon.co.jp/Mash-TV-Season-3pc-Coll/dp/B000078UJW
<MASH(映画)>
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=22188
http://www.imdb.com/title/tt0066026/
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