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2021年02月08日14:34

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ドイツ軍参謀の観点からの第二次世界大戦論(30) --------- ユーゴ侵攻への今日的な意味

(訳者序)
ここでは,ドイツ軍が破壊したのは,主にベオグラード以南のセルビア民族の地域であったことに注意してほしい。

<日本語訳>
しかしながら,全ては,短命であった。アドルフ・ヒトラは,ユーゴスラビアの速やかで容赦ののない破壊を命じた。彼は,それ以下のことは何もできなかった。バルカン陰謀による(第3)帝国への挑戦が成功したとなれば,平穏な欧州の新秩序全体に血なまぐさい反乱を引き起こすからである。すさまじい爆撃爆撃,膺懲作戦は,4月6日にベオグラードを更地と化した。ドイツ国防軍は,ユーゴスラビアを7日で征服し,それと同時に,ギリシャでの作戦を開始した。ヒトラは,ユーゴスラビアを,ドイツ,イタリア,およびバルカンの同盟国に分割し,国家としては存在しなくなった(山岳地域でのボルシェヴィクのパルチザン活動は,厄介なこととして残ったが)。かくて,チャーチルとルーウベルトの計画により,不幸なユーゴスラビア国民は,十ぱ一からげの死,降伏した陸軍,国家の破壊で対価をはらうこととなった。

技術的な観点からは,ユーゴスラビの会戦は,賞賛すべきものであった。迅速な勝利は,常に用意に見えるが,地勢は山がちであり,ユーゴスラビアには,100万以上の屈強な男性からなる陸軍がある。ドイツ国防軍は,総統の決断力と速やかなる一撃により勝利した。その会戦は,ドイツ国防軍の最高司令部で一晩徹夜して作り上げられなければならなかった。というのは,これまでの地上作戦と異なり,ユーゴスラビアへの攻撃計画は,我々の作戦ファイルのなかに準備されていなかったからである。さらに,それは,完璧に実行され,信じがたいことに,我々の死傷者は,600人以下であった。

確かに,第2次世界大戦について最も人口に膾炙されている決まり文句は,”ヒトラは,ユーゴスラビアへの個人的な激怒の捌け口にしたことで,その戦争に負けた”である。小さな無害な近隣国を復讐のためにボロボロにすることで,ソビエト連邦に対する攻撃が攻撃が遅れ,貴重な3週間から4週間が失われたためである。実際には,ヒトラの決断は,絶対的にやむをえないものであった。ロシアへの攻撃計画を作成中に,南方側面のバルカン半島に敵性のある前線は,ルーマニアの油田にあまりにも近かったので,容認できなかったからである。彼の激怒についていえば,将軍たちにネジを巻く総統のやり方であった。そのような場面でやり玉に挙げられたものには,非常に不快であったかもしれないが,それは,功を奏した。失なわれた時間への議論は,意味がない。気候とと大地の状況により,ロシアに対するタイムテーブルを決めたのであるから。

イタリアが参戦しなかったほうがドイツにとって,よかったかもしれない。これは,認めざるおえない。中立国が帯状となって側面を保全していてくれたほうが,有利であるからである。ムッソリニが行ったことは,好ましからざる2つの大きな戦線,イタリア戦線とバルカン半島の戦線を追加しただけににつきる。事が決したのは,結局,ボルガ川と英仏海峡という広大な北部平原という欧州の古典的な戦場での戦いであった。そこで,我が方は,南方のために巨大な戦力を散逸することとなった。

[訳者によるコメント]-----個人的見解

訳者は,ユーゴスラビアの平定が極めて短期間で終了したのは,クロアチアなどの親独的な民族の協力があったためであると推測している。事実,ボスニア=ヘルツェゴヴィナに至るまで,戦闘らしい戦闘は生じていない。ハプスブルグ家に属していたスロベニア,クロアチアにとっては,ソ連の傀儡政権であるセルビア系民族による政府の支配を受けるよりは,オーストリア出身のヒトラのほうがマシに思えたのであろう。

ドイツ軍の参謀によるユーゴスラビア侵攻に対する評価は,極めて妥当であると判断している。ヒトラにとって,セルビア系民族によるユーゴ政府は,ソ連の傀儡政権にしか思えない。さらに,オーストリア出身のヒトラにとって,オーストリア帝国に属していたクロチア系などの民族が,ソ連の傀儡政権であるセルビア系の支配をうけるのは,我慢ならなかったのは,想像にかたくない。そればかりか,ルーマニアの油田のすぐ近くに,ソ連の傀儡政権が存在するのは,誰がみても脅威である。
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