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2019年11月02日23:55

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雑誌之雑談帖―鉄道ピクトリアル2019年12月号 特集EF65型電気機関車

わたくしは餓鬼の頃から鉄道が好き、でありまして。  中学生になった頃に、カメラを持って鉄道写真を撮る様になりましたが、生憎当時消えつつあった、現役の蒸気機関車の写真を撮りに出掛ける程の経済的余裕もなく。出掛けるのはせいぜい東京駅か上野駅。当時は後のブルトレ・ブームもまだの事。東海道新幹線は既に走り出して10年近くになろう、としていましたが東海道線には夜行急行は未だそれなりの本数が走って居りました。
また上野駅は、東北線・常磐線・信越線・上越線を走る特急電車がダイヤ改正の度に増発され、その一方で客車列車も健在、でありまして。今は殆ど絶えて仕舞った、上野〜尾久間の推進運転列車も多く、EF57・58の活躍を楽しめたのでありました。

東京駅でのお目当ては、矢張り寝台特急列車、でありまして。当時の牽引機は、EF65型の500番台で午前中颯爽と東京駅に20系客車を牽引して滑り込んで来る姿にほれぼれとしたものでした。その後500番台の機関車は過酷な使用状況の所為もあって、1000番台の機関車にその地位を譲ったのでありましたが、わたくしはそのころのEF65型1000番台の機関車に装備された、交差型のパンタグラフが好きではなく、受験もあって東京駅や上野駅に写真を撮りに出掛ける事もなくなりました。

それから幾星霜、鉄道ピクトリアル誌の最新号は、そのEF65型電気機関車の特集号。懐かしさもあってつい購入して仕舞ったのではありました。総数で300両を超える数の同型機が製造だされたEF65型電気機関車も、最後の一台が製造されて既に40年もの時が経ち。いまでも現役で走っている同型機は54両余りとか。

わたくしが現在の住処であります、さいたま市(最初は与野市)に腰を構えて足掛け20年程。さいたま新都心は嘗ての大宮操車場址であり、今でも鉄道の往来は活発でその行き来の姿を眺めて飽きる事はありません。引っ越してきた当初は、貨物列車を牽引するEF65型・EF66型(一次型)も、まだかなりの数を見る事は出来ました。
一度少し見慣れないEF65型機関車が貨物列車を引いてきて信号所で停止したので、おやと思ってみてみると、これは嘗て九州行の寝台客車特急を牽引していた、EF65型500番台のうちの一台。そうか、違和感はそれでかと納得すると同時に、塗装が嘗ての特急用機関車様式から、JR貨物の塗り分けに変更されていて、物寂しい気持ちに。
それからまたいっぱん何年か経って、ある年の5月下旬に開催される、恒例の大宮工場の一般公開の日。廃車になった機関車のパーツのオークションが行われ、その中に機関車のナンバープレートが。これが結構良い値段(確か1枚20万円ほど)で、まあ確かに本物には違いないしなあ、と思ってそのナンバープレートを見ると。『EF65 541』とあって、嘗て九州行きの寝台特急牽引に活躍し、わたくしもその雄姿を写真に留めた機関車の番号。嗚呼、あの機関車も廃車になって、こんな扱いを受けているのか、と物悲しい気持ちになりました。

今では硬直両用機のEH500型電気機関車、勾配線兼用のEH200型電気機関車の増備が進み、EF65型電気機関車の姿を見る事もめっきり減って仕舞いました。特集号で、懐かしのEF65型電気機関車のあれこれを思い出したり、また知らなかった事を教えて貰ったりで、それなりに楽しいひと時を過ごしました。時の流れで、次第に姿を消していくのはどうする事も出来ませんが(数は少ないものの、保存されている機関車もある様ですので)、最後の日迄どうか頑張ってほしいものです。
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