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2019年02月24日18:50

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点鬼簿之雑談帖(その127)―ドナルド・キーン氏の訃報

アメリカ出身の日本文学研究者であった、ドナルド・キーン氏の訃報が伝わりました。享年96。音楽の愛好家としても良く知られていて、著作もありましたね。

<引用開始>

日本文学研究者のドナルド・キーンさん死去 96歳

 日本の古典から現代文学まで通じ、世界に日本の文化と文学を広めた、日本文学者で文化勲章受章者のドナルド・キーンさんが24日、心不全で死去した。96歳だった。葬儀は親族のみで営む。喪主は養子で浄瑠璃三味線奏者のキーン誠己(せいき)さん。

1922年、米ニューヨーク生まれ。コロンビア大在学中に「源氏物語」と出合う。日米開戦に伴い42年、米海軍日本語学校に入学。語学将校としてハワイや沖縄で従軍し、日本兵の日記の翻訳や捕虜の通訳をした。戦後、ハーバード大、ケンブリッジ大で日本文学の研究を続け、53年から京都大に留学。英訳「日本文学選集」を編集し、米国の出版社から刊行、日本文学の海外紹介のきっかけを作った。谷崎潤一郎や川端康成、安部公房、三島由紀夫、司馬遼太郎ら日本を代表する作家との交遊が文学研究を豊かにした。「徒然草」「おくのほそ道」などの古典や安部、三島ら現代作家の作品を英訳。「明治天皇」「正岡子規」「石川啄木」など評伝にも力をそそぎ、作家の生涯を通して日本人の精神を浮かび上がらせてきた。

62年、菊池寛賞を受賞。82〜92年に朝日新聞の客員編集委員を務め、平安から江戸期の日本人の日記を文学として論じた「百代(はくたい)の過客(かかく)」(84年、読売文学賞)などを連載した。83年に山片蟠桃賞。86年には、コロンビア大に「ドナルド・キーン日本文化センター」が設立。92年コロンビア大名誉教授。97年に「日本文学の歴史」(全18巻)を完結し、同年度の朝日賞を受賞した。2008年に文化勲章。日米を行き来していたが、11年の東日本大震災後、日本への永住を決めて日本国籍を取得。講演などで被災地を励ました。13年には、キーンさんが復活を支援した古浄瑠璃の縁から新潟県柏崎市に「ドナルド・キーン・センター柏崎」が開館、蔵書や資料を寄贈していた。半世紀を超える研究や作品を収めた「ドナルド・キーン著作集」(全15巻)は今春、別巻を出して完結する予定だった。

<引用終了>

出典Web:https://www.asahi.com/articles/ASM2S35KFM2SUCLV003.html?iref=comtop_list_obi_n01

全ての訃報に関する記事を読んだ訳ではありませんが、音楽愛好家であった事に言及されているj記事はなかった様な。
後に「ドナルド・キーンの音盤風姿花伝」と言うタイトルで、一冊にまとめられた本は、記憶が正しければ某レコード芸術の連載をまとめたものであった、と記憶して居ります。
面白かったのが、それまで日本の評論家の世界では、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に対して(そこで活躍していた歌手・指揮者も含めて)、「音楽の本場じゃないアメリカのオペラハウスなんて」と、冷笑的・批判的な姿勢が一般的であったのが、キーン氏がメトロポリタン歌劇場について大いに絶賛する内容の文章を幾つか発表して以降は、そうした姿勢が影を潜めた事。嫌味ったらしい言い方をすれば、ドナルド・キーン氏の文学評論家としての名声には、太刀打ちが出来なかったという事でありましょうか。

テレビでも訃報を伝えるニュースが流れましたが、生前住まわれていた東京都北区の図書館には、寄贈された書物が展示されている、北区の中央図書館の模様が。その中で手書きの原稿もちらっと映像が映りましたが、見間違いでなければオペラのフィデリオと言う文字が。おお、これはこれは、と少しばかり心の中でにやりとしてしまいましたね。

日本文学の海外への紹介に、大変大きな功績を残された方でありました。謹んで故人の御冥福をお祈り申し上げます。

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