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2019年02月06日06:58

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哲学のOS-エチカnote(02)

「たくさんの哲学者がいて、たくさんの哲学がある。それらをそれぞれ、スマホやパソコンのアプリ(アプリケーション)として考えることもできる。ある哲学を勉強して理解すれば、すなわち、そのアプリをあなたの頭の中に入れれば、それが動いていろいろなことを教えてくれる。ところが、スピノザの哲学の場合はうまくそうならない。なぜかというと、スピノザの場合、OS(オペレーション・システム)が違うからだ。頭の中でスピノザを作動させるためには、思考のOS自体を入れ替えなければならない……。」 

國分功一郎『100分で名著 スピノザ『エチカ』』(NHK・2018年)p.7より 

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スピノザを読むことが困難であることは前の日記に書いたことがある。 
ここに引用した國分の言葉は、その困難さを上手く説明していると思う。 
『エチカ』には、冒頭から「定義」やら「定理」やらが並んでいる。そのため、そうした定義などを一つひとつ解きほぐしながら読み進もうとしてしまう。しかし、これは『エチカ』の読み方としては「上手くない」ような気がする。基幹となるOSを理解していないのに、枝葉のプログラムのコードを読んでも、全体像を理解できるはずがない。 

全5部からなる『エチカ』を、第1部からではなく第3部あるいは第4部から読めという助言もあるようだ。第4部と第5部を先に読めというのは、國分の説だ。確かに、読みにくい第1部と第2部を後回しにするのは、「読みやすさ」という観点では正しいかも知れない。しかし、「読みやすさ」は必ずしも「分かりやすさ」を保証しない。 

「分かりやすさ」の観点からすると、スピノザの叙述の順序を尊重すべきであるように僕には思われる。 

では、どのように読むべきか。 
僕は、まず通読するべきだと思う。 
スピノザの『エチカ』は、1回通読して理解できるようなものではない。 
哲学に通じた人であればあるほど、簡単には理解できないのではないかと思う。 
普通の意味で「哲学に通じた人」というのは、やはりデカルトから始まり、カントやヘーゲルを通じて、あるいはマルクスなどを経由して、ハイデガーやサルトルなどの20世紀の哲学に至る流れを読んできた人のことだと思う。しかし、スピノザの思想には、そうした哲学のメインストリームとはOSのレベルの違いがある。 

たとえば、スピノザは「自由意志」というものを否定する。 

「定理三二 意志は自由なる原因とは呼ばれえずして、ただ必然的な原因とのみ呼ばれうる。」 
「意志は知性と同様に思惟のある様態にすぎない。したがって個々の意志作用は他の原因から決定されるのでなくては存在することも作用に決定されることもできない。」 
「意志はどのように考えられても、つまり有限であると考えられても無限であると考えられても、それを存在および作用に決定する原因を要する。したがってそれは自由なる原因とは呼ばれえずして、ただ必然的なあるいは強制された原因とのみ呼ばれうる。」 
「この帰結として第一に、神は意志の自由によって作用するものではないということになる。」 

「自由」や「責任」、「善」「悪」や「倫理」について考えるとき、近代的な思考様式の大半は、「自由意志」を前提としていると思う。しかし、スピノザの思想においては、そうではない。そのことを理解していないと、スピノザが述べる個々の命題を読み誤ってしまう。 

「自由意志」を否認したうえで、どのような「自由」があり得るのか。 
そのことを理解するためには、スピノザの「汎神論」的な(あるいは時には「無神論」的とさえ呼ばれるような)「神」について理解しなければならない。(そして、神に関する理解が、自然や世界に対する見方につながる。) 

もしも、「意志の自由を否定しては、自由を論じることは出来ない。意志の自由を伴わない自由の概念は形容矛盾であり、無意味だ」という近代の一般的な「OS」にこだわるならば、『エチカ』を読むことは無益かもしれない。 
また、『エチカ』を理解するということは、國分の言葉を借りれば、自分の頭という1台のパソコンの中に2つのOSを搭載するようなことなのかも知れない。それは、決して初心者向けのものではなく、そのためには相応の修練が必要だろう。 

『エチカ』を読むならば、最初から理解するということなどは諦めた方がよい。 
一度目は、分からないところは分からないままにして、とりあえず「どこに何が書いているか」というテーマのレベルを記憶する程度に留めて、速読するべきだろう。訳注などは読む必要はない。 
そのうえで、二度目から、少しは理解に努めていくようにするのがよいと思われる。個々の定理が、他の定理などとどのような関連にあるかを考えながら読むとよいのだろう。そうしていくと、他の近代の思想家たちとの「際立った違い」が見えてくるような気がする。 

また、『エチカ』を読むには解説書が必要だと思う。それには、近代哲学におけるスピノザのユニークさ、特にデカルトとの相違などが解説されていることが望ましい。スピノザはさまざまに解釈されてきた。そうした諸々の解釈の系譜を知ることは、「自分なりの読み方」を評価(自己批判)するための参考となると思う。こうした観点から、翻訳物ではあるが、講談社選書メチエから出ているチャールズ・ジャレットの『知の教科書−スピノザ』は良き解説書だと思う。 

國分の『100分で名著』も有益だが、いかんせん分量が少なく、國分流の読み方に偏っているように思われる。國分流の「新しい読み方」を学ぶのにはこれで十分かも知れないが、『エチカ』そのものに踏み込もうと思うのであれば、『知の教科書』がよきガイドになると思う。 

【参考書】 
◆『知の教科書−スピノザ』(講談社選書メチエ) 
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000195554 

◆スピノザに関する日記の目次(含:エチカnote)(2018年11月23日)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1969283915&owner_id=2312860

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